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お気に入り  「今日の美ヶ原」(日替り)
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今日のzakkan・覚書
平成22年2月14日
 今日はバレンタインデーだそうである。そう言えば11日にも団体関係者からチョコレートをもらい、12日には事務所の人からチョコをもらい、昨日は娘からいただいた。もっとも、どのチョコレートも、直ちに我が家の奥様に上納したので、その後お目にかかっていない。
 特に、昨日娘からもらったチョコレートは、娘から直接手渡されたが、渡すと同時に、「ではお母さんに預けておくからね!」といわれて直ちに没取され、どんな包装だったかも覚えていない。
 そんな具合だったから、今日がバレンタインデーであることも忘れていた。
 ところが、昼から予約していた駅前の理髪店で、理髪が終わって帰ろうとするとき、また、「バレンタインデーの贈り物です。」といわれて、大きな板チョコをもらった。
 このチョコレートも、勿論奥様に上納したのだが、「一つくらいは食べさせろ!」といって1片だけ分けてもらって口に入れた。ホワイトチョコレートで、なかなかふくよかな、そして甘いもので満足した。
 甘いものよりはアルコールが好きな私にしてみれば、チョコレートを沢山貰うのはそんなにありがたいものではない。第一、近頃体重が増えてきているから甘いものはなおさら敬遠したいところである。けれども、こういう私でも、各方面から意識して貰えるということは悪いことではない。だから、義理チョコであろうが、ギリギリチョコであろうが、それは問うところではない。
 しかし、我が家の奥様は、チョコレートを一所懸命食べてくれているらしいが、どうして私にはプレゼントくれないのだろう?
そして、あんなにあったチョコレートは、一体どこに行ってしまったのだろうか?
 平成22年2月11日
 ありがたいことである。
 こんなホームページでも閲覧していただいている方が結構おられる。
しかも、この数日、私がこの小欄をほんの少し埋めただけでも、明らかにアクセス数が増えてきたことを実感する。
 こういう状況を見るにつけ、自分としてはこの「幸齢」というホームページを、なんとかして名称の通りに改善していかねばならないと思っている。しかし、その思いは果たせない。
 
 振り返ってみると、このホームページを開設してから12年にもなる。
 目的は、niftyのパソコン通信フォーラムの一つ、エフ・メロウ(fmellow)を、当時勃興しつつあったインターネットの世界でも宣伝しようとするためであった。
 その当時は、ホームページ・ビルダーというホームページ作成ツールもまだなくて、私はhtmlの本と首っ引きで作成した。

 当時は、エフ・メロウのシスオペをしていたから、その責任感もあって熱心に取り組んだ。しかし、仕事上の立場も重要なものとなってきてしまい、順次、別なスタッフに引き継いだが、そのうち、事志とは異なる方向にエフ・メロウが進み、かといって、公務員としての仕事を放棄することもできないため、これに積極的に関与することもできず、遂にホームページを作ってから1年ほどしてエフ・メロウの仲間とは離れることになってしまった。

そうして、ほどなく公務員も退職し、現在の仕事として事務所を開き、新しい視点から「幸齢」を作り直そうとしたが、結局仕事上の多忙に加え、業界団体の役員に引っ張り込まれ、今に至ってしまった。
だから、このホームページは手塩にかけて育ててきたとはいえ、ついついおざなりにもなってしまっていた。

 そんなに多方面の物事を処理する能力があるわけでもないのに、何か見えない力によって、言うなればライフワークからはどんどん引き離されていくような気がする。誰か多くの人に、寄って集って自分の時間を盗まれているような気がする。自分の進むべき道ではないような道を歩んでいるような時もある。

 しかし、とも思う。結局は多くの他人の人には、何かしら奉仕しているはずだと思うし、それなしには引き受けてはいないはずだ。そして、それならばそれでまた、自分の幸齢を過ごしているのではないかとも思う。
 幸いにして健康で、67歳にもなって若い人たちと熱情をもって議論し、何かの施策を作り、いささかでも社会に貢献している。そういう毎日なら、それはそれで幸福なのではないだろうか?そして、そういう場が仮になくなっても、またこの幸齢に戻って、そして真の青春を考えて行けばいいのかもしれない。

 
   
平成22年2月9日  想定外のことと言えば、昨日は書き忘れたことがあった。
 なんと、このホームページを作ってサーバーにアップすべき工場ともいうべき、このパソコンが、新年早々トラブルが生じ、3週間の入院をしたことである。
 そんなことはよくあること、と片付けてもらっては困る。この故障前に、昨年の12月初旬にもトラブルを起こし、昨年の暮に退院してきたばかりなのである。昨年の暮れの場合には、電源系統のトラブルで手の施しようがなかった。しかし、退院してきたときには、多くのソフトが異常なく使うことができ、そんなにトラブルのあったことを認識しなくてもよかった。
 ところが、今年の1月の事故のときは違った。ウインドウズのアップデートのときに起こったもので、マイクロソフトのホームページからファイルをダウンロードし、インストールも順調に済み、さて、再起動しようという時になって、突然、パソコンが動かなくなった。画面は真っ黒なままである。どうしようもなくて、結局また入院したが、1月の末に帰ってきたときは、ハードディスクの故障ということで、ローカルドライブが取り換えられていた。このため、データが大量に失われたが、これはまあ、バックアップしてあったので、殆どは修復できた。
 ところが、データを修復する前に、またトラブルが起きていた。しかし、幸いにこれは診断プログラムを起動することで原因がわかり、自力で修復したので、3度目の入院とはならなかった。。。
 しかしまあ、何度も何度もトラブルに見舞われていて、これでは小沢さんや鳩山さん政治資金を巡る動きをフォローする間もない。まことに困った事態である。

平成22年2月8日
 ひと月前には「多忙新年開幕」と書いたが、早くも「多忙多難期間に突入」と書きたくなった。
 まず、1月初めには、新年発売の「文芸春秋」の「天下りリスト」に名前を載せられた。ある業界の全国組織の役員をつとめているためだが、本当にどこかの役所からの「天下り」なら仕方がないものの、私は会員の直接選挙で選ばれての就任だからお門違いも甚だしい。

文芸春秋には厳重に抗議しているがらちが明かない。リストにも明示されているが、報酬がゼロなのだから、これでは仮に「天下って」いたとしても何のメリットがあるというのか?
 私はたまたま中央の役員だから、選挙で選ばれても、報酬ゼロであってもリストアップされたが、地方のお役所傘下の独立行政法人なら、役所の斡旋で、1000万円を超える報酬を得ている人は沢山いる。折角の企画なのだから充実した取材をして、きちんとした記事に仕上げてほしいものである。
 かつてはこの雑誌に、高齢者パソコン通信の先駆者的に、2ページにわたるグラビアで取り上げてもらったこともあるが、これではこの雑誌に愛想が尽きたというところである。

 こんなことで、抗議などをしていたが、1月の最終週になると、昨年末に覚悟して入院することに決めたヘルニアの手術があった。
 入院前は、「病気ではないから」、といって、入院前には「本をたくさん持ち込んで、ゆっくりと読んでくるよ!」と豪語していた。しかし、現実の手術は体を切開するので、手術後のベッド生活は快適ではなかった。本など、ようやく1冊を読了仕掛けた程度である。幸い、予定通り30日には午前中に退院したが、その日の夜に行われた先輩の叙勲祝賀会では、医師の勧告でお酒を飲めなかったし、途中で、疲れのため頭痛が出る始末であった。

 それでも2月に入り、新しい気持ちで諸事に取り組んでいたが、今度は週末に前歯が1本、歯磨きをしているときにポロリと落ちてしまった。何年も前から刺し歯にしていたものだが、医者によると、抜け落ちたのではなく、途中で折れて落ちたのだという。このときも、会合の予定があったので大いに慌てて、応急措置で仮歯を作ってもらったが、何としても想定外のことが起こる年である。
 これからいよいよ忙しい時、現代は不透明の時代ともいうが、それは大きな社会経済情勢のところの話にとどめておいて、市井の中のことでは、どうか、想定外のことはあまり起
こらないようにしてもらいたいものだ。
 

平成22年1月10日
 多忙新年開幕である。明けてから10日が経った。のんびりしたのは3が日だけで、4日からまた多忙である。事務所に顔を出すと、元旦の日に、私の日常活動にも大きな影響を与えておられた方の訃報があった。この訃報に対応する間もなく区の新年会に出かけた。

 その後の誘いもあったが、2時間ほどの新年会終了後は事務所に帰り、訃報への対応や賀状整理、資料整理に追われた。
 翌日からは平常ペースの動きである、と書きたいところだが、年末にさる病院にヘルニアの処置で相談に行ったところ、手術する時期であると言われていたので、その手術前の検査のために病院に出かけた。午後からようやく事務所に顔を出して皆と挨拶。夕方はボランティア団体の事務所開きに出かけた。6日も同じようなものだ。午前中は予約していた病院に出かけ、午後から事務所。夕方は某所の新年会。

 7日と8日は全く事務所に出ることができない用事でこの週は終わった。いや、9日には休日ながら一人で事務所に来て、山となった伝言や資料の整理に終われた。そして今日。もう、すっかりストレスが蓄積された
 こういう状態からどうやって脱け出すか?今年の最大の課題である。
 



 

青  春
                      by:Samuel ullman
                 訳: 岡田 義夫


とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、燃ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、
こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失うときに精神はしぼむ。

苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、
小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。

  人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
  人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
  希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、
この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。




能彦の「勝手に名言選集」
 これも拒絶し、あれも拒絶し、そのあげくのはてに徒手空拳、孤立無援の自己自身が残るだけにせよ、私はその孤立無援の立場を固執する。
高橋和己「孤立無援の思想」(河出書房)より     2009/03/03
  ただ動きまわるばかりだった時代を過ぎ、少し自分を冷静になってみることができるようになったときが、ちょうど高橋和己や柴田 翔などの作家が活躍する時代であった。この中でも「悲の器」、「憂鬱なる党派」、「邪宗門」、「我が心は石にあらず」など、彼の長篇に惹かれたが、しかし、一番心に残った言葉が「孤立無援の思想」であった。  けれども、掲げた文章では単なる頑固を賞賛するもののように思う人もいるかもしれない。そうではないのである。この言葉は「孤立無縁の思想」の章の最後にあるが、その直ぐ間近にある叙述で説明すると、まず、「限りある生の時間のうちに生き、一回性という動かし得ない制限を持つ」人間は、「無限の順応体として自分を訓練する必要はない。」とする。そして、「蝉脱(せんだつ)や転進の意味を認めないわけではないけれども、たった一つか二つの役割を自ら裏切ることなき態度の上に果たすことができれば、(人の生き方としては)おそらくそれで十分なのであり、役割が終わったと思えば、静かに退場してゆけばいいのである。 」とする。  私の理解では、文学に携わるものであれ、政治に志すものであれ、一人の人間として「情勢論」に振り回されることなく自我を持ち、貫けということかと考えている。 

 テロリズムの本質は、テロリスト自らが恐怖心を抱いて、敵を脅かして追い払う、あるいは気後れさせてある政策をやめさせることである。更に簡潔に表現すれば、テロリズムの本質は、恐怖、脅し、追い払うである。
佐渡龍己「テロリズムとは何か」(文藝春秋社)より     2009/03/04
   アメリカのブッシュ前大統領は、9.11テロに際し、「これは21世紀の戦争である。」としたが、テロが戦争である、とする点では筆者も同様である。ただし、注意すべきは、この本は9.11テロの前に書かれている。それまでの日本国政府は、外国で日本人がテロの対象になっても、その外国における犯罪行為であるとして対応していた。筆者はこういう認識が対応を誤らせ、かつ日本人をテロの標的にするものだとして、考え方の大転換を迫っている。  ここに掲げたところから、テロとは建設的なものを求めないものであることは読み取れると思うが、筆者は更に、「取る」、「奪う」に代表される人間の欲求「~を得たい、~になりたい、~をしたい」でもないと念押ししている。国内にいてテロとはあまり縁が無いと思っていると、つい、外国での事件に際して「テロリストと話し合いによる平和的解決はできないものか?」と考えがちだが、テロそのものが心の戦争を仕掛けていることを想起すべきであろう。

  これまでの資本主義、そう「強欲化した資本主義」は一部の人たちが巨大な資本を形成し、一方で大多数の人々が搾取される仕組みと化した。そうした「強欲の仕組み」が崩壊しつつある。当面世界経済は縮小せざるを得ず、誰もが苦しい、困難な時代を迎えよう。その後に、万人を幸福にする経済社会を築く仕組みを新たに考え出さなければならない。
神谷秀樹「強欲資本主義ウォール街の自爆」(文春新書)より     2009/03/05
  「強欲資本主義」という言葉がマスコミに登場したのは最近のことである。語源を確かめたわけではないが、筆者が初めてではないかと思う。昨年11月から12月にかけて、アメリカ自動車業界救済案を審理するため開かれた議会公聴会に出席するのに、各社の経営トップが自家用ジェット機でワシントン入りして顰蹙を買ったのは未だに記憶に残る。私は、これも「強欲資本主義」の典型だと思う。  掲げた文章を名言とした所以は、ウォール街で長く投資銀行を経営してきた日本人が、「金融マンは実業を営む方たちの脇役に徹するべきだ。」という信念のもとに、日本人のために新しい処方を描こうとしているからである。その処方は、具体的には高度成長政策を推進した池田首相のブレーンでありながら、オイルショックを境にゼロ成長論に転じた下村博士の理論を基調としたものであるが、これを支える信条はいかにも日本的なものだからである。


  そしておれは、死ぬまで、その坂を登り続けなければならないだろう。
山本周五郎「ながい坂」(新潮社)より     2009/03/06
 「おれは」とは、山本周五郎の長編「ながい坂」の主人公・三浦主水正である。彼は何故死ぬまでながい坂を登り続けなければならないのか、というと、少年の頃から、脇見もせずに懸命にながい坂を登ってきて、藩の城代家老という要職、現代で言えば政治家としてのトップまで地位までのし上がってきた。けれども、今日歩いてきた二の丸に続くこの道が、実はながい坂道であったことに今はじめて気がついたが、登りつめたいま、彼の前にはもっと険しく、さらにながい坂がのしかかっているからである。  いわば、山本周五郎が描いた立身出世物語であり、どちらかというと最後はハッピーエンドであることを期待して読書することの好きな私には、まことに格好の長編小説であった。  主人公は、少年の頃から俊才として将来を嘱望されながらも、政敵一派に命を付け狙われたり、困難に遭遇したり、難しい仕事を与えられたりしながら、結局、改革派のリーダーとして藩主とともに政敵一派を一掃する。その長編の最後のところで、ここに掲げたながい坂に気づき、更にまた、それを上回るながい坂にたち向かわざるを得ない自分を自覚するところが感動的である。
    
  健康には笑いが一番、薬は二番。
中島英雄(噺家・桂 前治)「荒井 寛著ー東西の産業経済人・市民が愛した名句・名言」より   2009/03/07
 中島氏は医学博士で落語家でもあるらしい。著者によると、この言葉はラジオ深夜便というNHKの番組で話された言葉という。私はこの言葉を直接聞いたことはないが、似たようなことはクルマを運転中にラジオで聞いて感銘を受けたことがある。日常的に笑いを生じさせることで、病気を克服できるというのである。特に驚いたのは、末期癌とされた人が、笑いでがんの兆候が見られなくなったということを聞いたことである。天下の公共放送が全国に放送している番組である。とても、冗談だとは思えなかった。そして、ことによると本当かもしれないと、今でも思っている。

  政治の世界では、人は殺さず、ただ邪魔ものだけを取り除く。ただそれだけだ。
アレクサンドル・デユマ「モンテ・クリスト伯(1)」より   2009/03/08
 エドモン・ダンテスを陥れた検事代理ヴィルホールが、反対党の有力者である父に対して、「ケネル将軍を殺害したのはあなたではないか?」と問い詰めた場面で、父ノワルティエが答えた言葉である。政治闘争においては殺人はしない、ただ、除くだけだというこの言葉が、私には現代にも通じる強烈な言葉として受け止めた。「モンテ・クリスト伯」は何といっても19世紀の作品だ。しかし、ナポレオンの皇帝復帰を望むボナパルト党員と、既に王政復古を果たしたルイ18世などの旧体制派との間では熾烈な政治闘争が行われていた。この問答はその中で行われたものだが、何とも凄まじい印象を与える言葉であった。政治とは権力を奪取し、それを行使する過程である。そこには親子の愛もなければ、生命の尊さも関係ない。このような考え方は、もはや宗教と政治が一体化した特殊な場合にしか通用しないと思うが、それでも時代は現代である。少しでも現代には通用しないと言いたいが、果たしてそうか。
 しかし、