(1)
昨日2月15日から16日にかけて、世界各地で、アメリカのイラク攻撃に反対する集会やデモがあった。中には60ヶ国で1000万人が参加したという報道もある。
国連安全保障理事会では、イラク攻撃を早期に行おうとする米英に対して、フランスやドイツは査察継続を強く主張し、非常任理事国の多くも仏独の主張に耳を傾けつつある。
これらのことは、世界の趨勢として、米英のイラクを早期に攻撃することが必要だと唱える主張に対して、急激に反対の波が強くなってきていることを示しているかのようにみえる。
他方、日本では政府が米英の早期攻撃を支持するのか、仏独の査察継続の主張に与するのかについては、全く明快な対応や国民に対する説明をしないまま、現実には非常任理事国にアメリカを支持するよう働きかけていたようだ。
こうしてみると、日本政府は、既に米英のイラク早期攻撃を容認する方向付けを明確にしている、と言ってよい。
従来から日本政府は同種の質問があるたびに、外相も首相も、大事なのはアメリカがイラクに対してどういう対応をするかということではなく、イラクが12年間も大量破壊兵器の廃棄を怠ってきていることであり、イラクがこれからどういう対応をするかである、としてきている。
野党やメディアは、この質問に対する答弁をとらえて、政府はアメリカに対して言うべき意見を言っていないとしているが、これまでのことを考えれば政府が米英に対して早期攻撃を思いとどまるように意見を言うということは有り得ない、と考えるしかない。
つまり、日本政府は、国民の気持ちは別にして、米英の早期攻撃容認派であることは間違いない。
結局、日本はアメリカの尻馬に乗り、世界の趨勢とは異なった道を歩み始めているかのように見える。
例えば、本日16日朝日新聞の朝刊第一面の見出しは「反戦の波 地球を回る」であり、同じく第二面にある社説の見出しは「戦争回避が多数派だ」となっている。この二つの見出しと政府答弁などに示される対応を対比してみる限りでは、明らかに日本は世界の輿論とは異なった対応をしていることになる。
しかし、新聞をよく読めば、正確には朝日新聞もそうは言っていないことが分かる。
朝刊第一面の見出しは国際社会の市民レベルの行動のことであり、社説の見出しは、国連安全保障理事会という会議の場の空気のことだからだ。
ただ、紛らわしいことは確かであり、どうも私には、朝日新聞が意図しているかどうかはさておいても、対イラクという問題については「戦争反対」という世論を作りたがっているのではないかという気がする。
無論、それが正しくて、かつ平和のうちに事態が推移するのであれば何も言うことはない。
(2)
けれども、私は国際社会における(日本も含めた)市民レベルの行動と、国連安全保障理事会のような政府レベルの対応の方向とは異なるものがあることをはっきりとしておかなければならないと思う。
新聞で報道される市民レベルの行動というのは、これは朝日新聞の見出しにあるような「反戦」の行動である。
「イラクにしたってアメリカにしたって、どちらも大量破壊兵器は持っている。その意味ではアメリカだってイラクを攻撃する資格はない。アメリカは石油を支配したいがために、言うことを聞こうとしないフセイン大統領の政権を転覆させようとしているだけだ。こういう戦争はやめさせなければならない。」
とか、
「ともかく戦争はいけないことである。戦争で被害を受けるのは罪もない国民だけである。そんな戦争をしてはいけない。」というのが言ってみれば反戦の思想である。
(注)この中には「イラクが大量破壊兵器を持っているという証拠はない。それな
のにイラクを攻撃しようとするアメリカは間違っている。」という考えは含ま
れない。なぜなら、この考えでは、イラクが大量破壊兵器をもっていることが
証明されれば、アメリカの攻撃を容認することになってしまうからである。
つまり「条件付反戦」であるかもしれないが、絶対の戦争反対ではないからで
あり、後述する独仏の論理につながるからである。
けれども、政府レベルの考えは、独仏も含めてこういう戦争絶対否定論ではない。
戦争というか、武力行使の必要性は認めつつ、その時期をできるだけ伸ばそうというものでしかない。
このことは武力行使を背景とする国連決議の必要性を認める各新聞の論調からも明らかである。
まず、いちばん「反戦」を希求しているかにみえる朝日新聞の社説にしても次のとおりである。
「イラクの疑惑は晴れたわけではない。安保理が今取り組むべきは、態勢を強化しつつ査察を長期間にわたって継続し、イラクの大量破壊兵器を実質的に廃棄させるための方策を練り上げることだ。フセイン大統領に兵器隠しや時間稼ぎの余裕を与えないような強い措置も必要になろう。」
また、日本経済新聞の16日の社説は、そのタイトルが「イラクの武装解除が共通の目標だ」としているところからも武力を背景として必要であるといるところが窺がえるが、なお、念のために一部を引用すると次のような箇所がある。
「イラクをめぐる構図は本来『イラク対国際社会』のはずだが、このところ『戦争を急ぐ米英、それを止める国際社会』に変化したように見える。安保理が新たな決議で、一定期間の査察継続を認めるが、それでも積極的協力がなく、武装解除がなされない場合には武力行使も辞さないとの強いメッセージをイラクに送る合意をつくり、構図を元の形に戻す必要がある。」
このように、事柄の本質においてはイラクの12年にわたるサボタージュを前提とし、その上にたって米英の攻撃の時期を伸ばそうとしているだけであって、その間に、平和的解決を望みつつも、サボタージュを続けるフセイン政権に対しては武力を背景とした圧力を加えることを容認しているのである。
この点において、反戦絶対を唱える市民レベルの行動と各国政府、国連のレベルの考えとは異なるのである。
(3)
以上のような各国政府、国連レベルの考えを頭において考えると、米英に追随しようとする日本政府の対応は、あながち批判するに当らないという気がする。
まず、私は、他の国のことはさておき、イラクを念頭において考えた場合、無条件に戦争には反対という「反戦」の考えに与することはできない。
私は今でも日本国憲法前文を諳んじて口にすることができるほど日本国憲法の平和主義を愛するが、しかし、この憲法の考えは国際協調を基調としたものである。この点からみると現実のイラクという国は警戒して観察するしかない。
なぜなら、イラン・イラク戦争や湾岸戦争にみるまでもなく、現在のイラク・フセイン政権は、自ら他国に対して侵略戦争を仕掛けている唯一無二の国であり、しかも自国内の少数民族を圧迫する目的で彼らに生物化学兵器を実際に使用したことがある国である。
もし、このような国が「反戦」という思想の保護対象となるなら、その侵略の対象となった相手国や地域はどういう思想で保護されるのであろうか。
こう考えると、「反戦」の意味すら理解できなくなる。
また、実際に、ベトナム戦争のときも「反戦」を唱え、「ベトナム人民の抵抗も停止せよというのか?」と批判を受けた政党もあったが、おそらく意図は「アメリカの戦争停止」のみ求めたかったのであろう。
それは今日でも変わっていないと思うし、また、それならば、それではイラクの扱いがいかにも不明であろう。
イラクはこのような国であるが、このような政権に対して、国際社会が国連を通じて何か政治的な対応を要求する場合、絶対平和・武力行使不可という原則を掲げて行うことは、最初から実効性を欠くものであることが明らかである。
国際社会からのイラクへの要請も、外交という国際政治の作用であることに変りはない。そして政治は、宗教でも道徳でもない。基になる思考が宗教や道徳に支えられることはあるかもしれないが、そのもの自体ではないのである。
まして国際政治となると、相互の信頼に基づく行動が前提である。交渉などによって約束したことの実現性が何によっても担保されないのなら、別に実効性が確保される道が必要となるのは論を待つまい。
その実効性を確保する手段は武力の行使であり、このことは国際的な理解でさえある。もっとも、現に12年もの間、国際社会は愚弄されて続けてきたのであるが。。
したがって、私の考えが正しければ、今、幾ら世界の反戦活動が高まっても、当面、イラクを巡って問題となるのは、現在の国際社会におけるる市民レベルの反戦行動ではなく、正に米英の早期攻撃が妥当か、独仏の査察継続が妥当かということでしかない。
念のためであるが、この独仏の査察継続も、イラクの対応如何によっては当然武力行使が行われうるものである。
そして、この二つの問の狭間に立たされたとき、私は残念ながら決め手となる情報を持たない一市民にしか過ぎないから、なんとも歯切れが悪くなるものの、米英の早期攻撃も独仏の査察継続案もあんまり違わないもののように思える。
その理由は、今後の査察の効果に全く期待ができないからである。
イラクの国土は日本の国土の1.2倍という広さを持つという。この広い国土に、国家的規模で周到に査察逃れの工作を施されたのなら、その摘発に何年を要するのか、そしてその間中、国際社会は、また愚弄され続けることになるのかと思うと、今後の国際テロの危険性などを考え、慄然とする。
結論的なことを言えば、アメリカのイラク攻撃に関する日本政府の考えは未だ公表されたものではないが、しかし、これまでの国会における答弁などからみれば、アメリカの攻撃があれば直ちにこれを容認するものと思われる。
そして、その根拠は、やはりイラクのフセイン政権の、これまでの対応からみると今後の査察継続から期待するところがない、というものであろう。
私も同じように考える。
独仏の査察継続案は、最終的な武力行使を留保して、できるだけ平和的に武装解除するというものであるが、それが可能ならばフセイン政権は長い期間を掛けずに実行できるはずである。
それができないのは、武装解除と同時に強権政治を行ってきた自らの政権の基盤が崩れるからにほかならず、このことは独仏の査察継続が(仮に期間を定めたとしてもなし崩し的に)長期化することを意味するに留まらず、フセイン政権の長期化=武装解除の実現不能をもまた意味するものである。
(4)
補足
このような考えを表明すると、反戦絶対を主張する人々からは、「武力行使に伴う善良なイラク国民の立場はどうなるか?」、という問いかけに出会う。
これには、「まず、その国民が、国連を中心とする国際社会との協調を基本とする国づくりをするべきだ。」と答えたいが、そういう答えは現実的ではないという反論に出会うことになろう。
そこで「では、イラクは何故大量破壊兵器を持ち、他国の侵略行為を行うのか?その対象となる他の世界の市民はどうして救われるのか?」という問でもって応ずることにしようと思う。