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サイレント・ネットワーカーの態様
(17)
前回のサイレント・ネットワーカーの態様について補足を行う。
サイレント・ネットワーカーが議論したがらない理由の一つに、議論の場が匿
名を許容すること、あるいは実名を強制することのどちらかであることもある。
ネットワークの中のコミュニケーションの特徴として激しいケンカ・摩擦・口
論がしばしば起こると言われる。これはフレーミング(「燃え上がり」?)と言
われるが、これは日本に限らず米国においても珍しくない(会津・泉著「進化す
るネットワーク」37ページ・NTT出版刊)。従って電子メデイア社会におい
ては一般的に起こりうることと考えなくてはなるまい。ただ、匿名を許容するか
実名を強制するかによりフレーミング現象の多少に影響があるかどうかはあまり
明確ではないが、一般には匿名を許容する場合のほうが多いと言われる。
匿名であれば発言が無責任になりやすく、誹謗・中傷しても本人が特定できな
いためトラブルが起きやすいという理由である。けれども実名を強制する場合に
は実社会の重さがネットワークに反映されて息苦しいということもあげられてお
り、どちらがベターかということは難しい。さはさりながらこれらが理由でサイ
レント・ネットワーカーとなる人が多いのも、これまた事実である。
また、もう一つ追加すると、ネットニュースやチャットの様な自己表現も主張
も容易にできるものに参加するネットワーカーは多いが、逆に視野がインターネ
ットを通じてどんどん外部に広がっていくことに恐怖を感じ(高橋克雄稿<イン
ターネット「失楽園」>(雑誌「新潮45」11月号138ページ以下参照)て
サイレント・ネットワーカーとなってゆく場合も多いと思われる。
(18)
さて、上の(17)の場合も含めて、サイレント・ネットワーカーが生ずるの
は何故電子メデイア社会の宿命であるかというと、議論に参加するとか、参加し
たくないとかいうのは結局コミュニケーションの問題であり、単純な情報処理の
問題ではないからである。
データの蓄積とか照会とかいう単純な情報処理の問題であれば情報が発信元か
ら他へ向けて発信され、それが到達するなら情報が処理されることになり、返信
が必要であれば正しく双方向で処理されることになる。
けれどもコミュニケーションの問題は単純な情報処理ではなく心の中で解決し
なければならないから、受け手の能動的・受動的な側面の総体である全人格的な
対応を必要とされる。そこにネットワークの中の状況も視野に入れた(当然、忌
避感も含めた)判断が生じざるを得ない。
(19)
こういう全人格的な対応がどのように行われるかについては、これまでに上げ
た態様を抽象化して検討しなければならないと思うが、それは後日のこととして
、取り敢えずサイレントネットワーカーの分類を試みると、
1 情報収集専念型ネットワーカー
2 自己防御乃至安全志向型ネットワーカー
3 参画機会逸失型ネットワーカー
となるのではないかと考える。
そしてこれらのネットワーカーは、電子メデイア社会内の情報の流れが一層大
量かつ高速化するほど、その数が多くなると思われる。
何故なら、情報収集専念型ネットワーカーは新しく参入するネットワーカーも
含めて、恐らくその情報の収集・分析に従来以上の多くの時間を取られることに
なるからである。
また、自己防御乃至安全志向型ネットワーカーについては、これからの電子メ
デイア社会に新たに参入する人が多くなり、勢い摩擦・口論等の洗礼を受ける機
会が多くならざるを得ない。
そして参画機会逸失型ネットワーカー、、、これは本来は「議論したがらない
」ということではないが、議論の場があるのに参画しないのだから結論的にはそ
う違いないのでこれに含めると、電子メデイア社会が一層多様化することから本
来自らが望んだコミュニケーションの場に行き着けないことが考えられるからで
ある。
これらの結果何が起こるかといえば、サイレント・ネットワーカーは自らが望
んだり、あるいは自らに適したコミュニケーションの場を求めることになり、次
第に小グループ化・テーマの専門化したグループ化することになるのでなかろう
か(星野芳郎著「インターネットの虚像」120ページ参照・技術と人間刊)?
この数年、ニフテイの各フォーラムに参加してみていると、すでに自己防御乃
至安全志向型ネットワーカーの場合にはニフテイのフォーラムにおいても会議室
の選好が進んだり、気の合った会員との間でホーム・パーテー((注)今はなく
なっているが)やパテイオに進む傾向が看取される。
このようなことは、幾らこれが現実でも、そしてフォーラム企画の競争原理的
多角化がニフテイの方針でも、私の様にこのフォーラムの発展を願うものには好
ましいことだと思えない。そして何故こうなるのか、或いは私自身何故そう考え
るのか、という原因を考えてみると、一つには電子メデイア社会におけるコミュ
ニケーションの基本的な理解として従来から言われ、今も言われている「双方向
の議論」とか「双方向の情報発信」という理解が間違っていたからではないかと
思うのである。
果してそうなのかどうか、次回は、電子メデイア社会のコミュニケーションは
「螺旋型のコミュニケーション」であるという仮説でもって考えてみたい。
[1997.10.23]