「旧聞批評」反論ホーム・ページ(3)

双方向の情報発信とは

 

(6)
  最初に、前に紹介した牧野弁護士が司会者として登場する「リレー討論−ホー
ム・ページを作るということ」に現れた発言に触れる。
 誤解の無いようにするためにあらかじめ説明しておくと、この討論はホーム・
ページを持っていたり、これから作ろうとしている人にとっては極めて有益な考
えを沢山含んだものとなっている。特に発言の中で毎日コミュニケーションズの
編集者である野村弘明氏が、ホーム・ページを概観した結果として、「トップ画
面がすごいというものに限って、中身がない。トップ画面を作るだけで、力つき
ちゃっているんですね。その中で、他と違うものをどう作るか。出版でも同じこ
とですが、企画が大切なんです。何をどのようにみせるか。」と述べているのは
、個人のホーム・ページに関する論評として卓見であると思う。
 また、牧野弁護士が電子メデイア社会の発展のために法律的な側面からの貢献
していることもよく承知している。
 だから私の紹介は、そういうことを考えても、なおかつ疑問に思う点があるか
ら行うものであることを付言しておく。

(7)
 リレー討論で私が同意できない点は、飽くまでも、ホーム・ページは双方向の
情報発信であると強調ウれている点である。これがどういう形で明らかにされて
いるかというと、次の部分である。以下更に引用が続くがが私の考えを述べる上
で重要なので引用する。

牧野「ホーム・ページを作るという観点で、出版のプロとして日頃感じているこ
とが多くおありと思いますので、その点あたりからお話を伺えればと思いますが
。」

野村「ホーム・ページの魅力は個人が簡単に発信できるということにあります。
あまりに簡単にできてしまうだけに、情報を発信するということの責任やリスク
を本当に分かっているのだろうか、と疑問に思うことがあります。よく雑誌のペ
ージに無断で自分のページを掲載されたといって文句をいう人がいます。批判的
な文脈の中で語られたりしていば、文句を言いたくなる気持ちも分からないでは
ありません。しかし、ものを表現するということは必ず批評・批判の目にさらさ
れる可能性を持っています。その辺をもっと考えて欲しいですね。

町村((注)町村泰貴氏・小樽商科大学商学部企業法学科。「法律学者」として
の紹介がある。)「情報発信者としては甘えているという感想ですか?ホーム・
ページの公開は、公開の場に情報を出すということであり、批判を受けることも
前提としているのであって、情報は出しますよ、でも批判はいやですよ、という
のはおかしいのではないかと、という疑問なのでしょうか?」

野村「そうですね。表現をするということは、実は大変なことなのです。批判さ
れるのがいやなら、公開の場へ出さないで、仲間内でやっていればいい、という
いことにもなります。ホーム・ページを作って世界を相手にするのですから、ど
のように利用されるか、どんな批判が来るか、様々な危険があるのです。そうい
うことを理解した上でホーム・ページを出すべきであって、言いっぱなしという
ものではありません。それはホーム・ページに限らず、表現するということ全般
に当てはまることです。情報の提供そのものに対する批判と反批判といった、も
っと情報の発信そのもののもつ原搏Iな構造を問題にせざるをえないのではない
でしょうか。表現をするということは、それだけ厳しいものなんですね。」

 この後、牧野弁護士が「ホーム・ページの作成・提供に当たって記者や編集者
に求められているような情報発信側のルールとか責任とかいったものを認識すべ
きだということにな」るか?と尋ねたのに対し、野村氏は「ルールも大切だが、
もっと大切なのは情報提供のコンセプトで」ある。と述べ、情報として価値ある
ものであるべきだ、と答えている。

 そして討論は、野村氏の言うことは分かるが、現実に指摘されている問題があ
るのは、、、
牧野「たしかにわかるんですが、インターネットとかホーム・ページとかの情報
提供という手段自体が未成熟という事情もあるのではないでしょうか。一面では
、そういった未成熟さが、このメデイアの特性のような感じもあるのですが、そ
ういった点はないのでしょうか。」
  という点に移っていっている。

(8)
  このメデイアの未成熟という点については、後に述べるように私の考えとは違
うので、ここで更に要点の紹介を行っておく。
 インターネットの未成熟ということは、ここでは更にパソコン通信もインター
ネットも共通のことであるとされ、原因は情報をスクリーン(選別)する機能が
弱いためであるとしている(町村氏の発言)。
  しかし、町村氏も「もっとも、スクリーニングなしに情報発信できるというと
ころがインターネットの特徴でもあります。なのに成熟さを求めてまた情報をエ
デイットする、ふるいを掛けるとなると、それでいいのかと、とも思うわけです
。」としている。
 
(9)
  以上、紹介したようにこの討論においては、インターネットにおける表現、
つまり情報発信は、原理的に批判、反批判という構造をもつものという基調が貫
かれている。討論において牧野氏が野村氏と同様の発言を繰り返しているのでは
ない。しかし、司会者としての話の引き出し方をみていると、この討論に参加し
た人達は基本的に似た考え方の似た人達であることが分かる。そして「情報発信
は、原理的に批判、反批判という構造をもつもの」という点については牧野氏、
町村氏らもこれを認めつつ現状を「未成熟」と認識しているものである。

  私は、これとは違い、氏らが「未成熟」とする部分は「本質」であると考えて
いる。これは牧野弁護士が「未成熟さが、このメデイアの特性のような感じもあ
る。」と、ちらと述べていたところに繋がるかもしれない。しかし私の考えは、
いずれ、次にパソコン通信においてニフテイ等が被告となった事件の論評を紹介
した後に述べることにする。[1997.10.17]