「旧聞批評」反論ホーム・ページ(2)
サイレント・ネットワーカー
(4)
「ホーム・ページでの反論に双方向性の議論を求めることは必ずしも正しくない
。」と考えたのはそう難しい理由があるからではない。
今、パソコン通信やインターネットにおいて情報を発信、交換、取得、蓄積し
ている人々の総体を「電子メデイア社会」と言うとすると、そこではパソコン通
信やインターネットの特質としての情報発信の双方向性は否定できない。しかし、
パソコン通信やホーム・ページの内容は多様であり、その中には議論を求めたが
らないネットワーカーも相当数あり得るということからである。
何故なら、一般の社会においてもサイレント・マジョリテイがある如く、電子
メデイア社会においても電子メデイアを積極的に利用しアクセスする人において
も、議論からは一歩退いたところでこれを眺め、言わば眺めることをアクセスの
一義的な目的とするネットワーカーが多数存在するからである。
このことはパソコン通信が多くの利用者を抱えていても、それぞれの掲示板・
フォーラムにおける発言者(これは「情報発信者」と言ってもいい。)は利用者
の数と等しくないことから容易に裏付けられる。
(5)
言ってみれば、これは日常の電子メデイア社会に参加していれば誰にでも分か
る極めて単純な事実である。しかし、なぜこういうことを取り上げなければなら
ないかというと、パソコン通信やホーム・ページにおいて問題となることが起こ
ったとき、所謂識者はこういうパソコン通信やインターネットにおけるホーム・
ページの現状に言及することなく、安易に「双方向性」とか「情報発信」という
言葉を駆使して、多くのネットワーカーが感じている現実とは異なる電子メデイ
ア社会を作り上げて仕舞うからである。
私は電子メデイア社会における統計的な数値を今は持ち合わせていないから確
定的なことを言うのは差し控えるが、今日の電子メデイア社会を一つの産業とし
て成り立たせ、かなりの部分を資金的に支えているものは、恐らくこうした声を
出さないネットワーカー、言うなればサイレント・ネットワーカーではないかと
思っている。
私は電子メデイア社会が真に双方向の情報発信社会になるためには、かつて新
聞やテレビが読者や視聴者の声を取り上げてその垣根を取り払おうとした如く、
こういうサイレント・ネットワーカーを無視した識者の論評が生まれないように
しなくてはならないと考えている。そうでなければ電子メデイア社会以外の世界
に、電子メデイア社会の実態を誇張したり、個々の事件の評価を誤らせることに
なるからである。
しかし、私の一方的な主張ばかりでは「批評」とはいえない。そこで、少し所
謂識者達の電子メデイア社会に関する考え方を見てみよう。[1997.10.16]
