内容を伝えない記事

(1)
サッカーの全日本チームが神宮の国立競技場で5万の大歓声を受けながら韓国と熱戦を繰り広げていた日に、近くの神宮球場では慶応大学野球部の高橋主将が6大学野球の新記録となる通算23本目のホームランを放った。
学生野球の記録としては現在福岡ダイエーにいる井口選手がこれを上回る記録を持っている8が、29年振りの快挙であるから素直に喜びたい。

私が6大学野球のファンになったのは、元ジャイアンツの江川投手が法政大学で活躍していたころだが、社会人の癖によく観戦にでかけたり、あるいはわざわざTVK・TVというUHF放送のチャンネルを選んでテレビ観戦したものだ。
大学野球の魅力は高校野球とは違ったハイレベルの技術と、プロ野球とは違った統制のとれた応援の下、静かにしかも楽に観戦できるということにあった。

そういう意味で高橋選手が新記録を作るかどうかには大いに関心があったし、これからの試合においても是非学生野球の記録を更新して欲しいものだと思っている。

(2)
しかし、今朝の朝日新聞でこの快挙を伝える記事をみたときは、その書き方に違和感を感じた。
 記事には写真もあり、高橋選手が7回に本塁打を放ったときの写真もある。そして「慶大の高橋由伸(四年、桐陰学園)がリーグ新記録となる通算23号本塁打を放ち、法大時代の田淵幸一氏(現解説者)の持つ記録を29年ぶりに塗り替えた。慶大は高橋の本塁打で勢いづき、法大に雪辱して3回戦に持ち込んだ。」 とあった。

スコアをみると
  慶大  300001100=5
  法大  011000000=2
で、慶応が勝っている。
「あ、そうか」と読み過ごしそうになったが、一瞬「待てよ!高橋は7回に本塁打を打って、慶大は その後に得点していないのに<高橋の本塁打で勢いづき>とは変じゃないかな?」と疑問を持った。
<高橋の本塁打で勢いづ>いたのなら、言葉の用法としては追加点を入れるなり、何かこれと同等なこととか、これを上回ることがあるのではないかと思ったのである。

そこで記事を読みなおしたが格別のことはない。疑問の通りである。
幸い、別欄の囲み記事に鈴木芳美記者の署名入りで試合が大変緊迫した試合だったことが書いてある。
けれどもどうも「勢いづいて」が呑み込めない。
そこで、出勤してから他の新聞を調べてみた。
調べても朝日新聞と同じような書き方をしている新聞はなかったけれども、読売新聞が事情を分からせてくれた。
結局、この試合は慶応が1回に3点の先取得点を挙げて先行したけれども、その後追撃を受けて苦戦していたらしい。
そして7回の高橋選手の本塁打の後、慶応の選手の動きが「直後からナインの動きも軽くなった。」(読売新聞)ということらしい。

つまり朝日新聞の記者は読売新聞と同様のこと、、、「勢いづき、以後の守備は万全であった。」と書きたかったのであろう。

それにしても、政治・社会・経済面の込み入った話ならともかく、スポーツ面の、しかも試合経過のことで読者に他紙の記事を読んでもらって理解してもらうというのは、大朝日としては少しお粗末ではないだろうか?

いやいや、ことは表現の問題。自らも心せねばなるまいて、、、、[1997.9.29]


補遺
この批評について、パソコン通信のエフ・メロウ9番会議室で一人の方から「自分は読売新聞の様に理解したので、違和感は感じなかったというRESがあった。
そこで、次のような補足のコメントを行った。

 コメント有り難うございます。
 ところで違和感を感じなかったとのこと、参考になりました。

 でもこれは国語の問題なので、御存知でしたらご教示戴ければありがたいですが、「勢いづく」は、「今あった勢いが更に増していく。」ことではないかと考えます。
これが違っていれば、以後述べることは意味がありませんから御放念下さい。

 ところで、仮に私が言った意味だとすると、「今あったこと」とは、この場合「本塁打を放ったこと。」あるいは「得点を上げたこと」あるいは「攻撃が成功したこと」しかありません。
 あの場合、高橋選手がアウトカウントが幾つのときにホームランを打ったのか記事からは分かりませんが、仮にノーアウトのときにホームランを打ったとします(ランナーがいないときにホームランを打ったことは事実ですから、この設定でもおかしくないですね。)。
ところがその後は(仮に塁にランナーが出たとしても)3人の打者が確実にアウトにつながる動作をしたために得点が入っていないのですから、少なくとも攻撃面では「勢いづいて」いないのです。
ツー・アウトの後にホームランを打っていたのなら尚更です。
   したがって、攻撃面のことで「勢いづいて」とは書けない筈です。

 そうなると、守備面のことで「勢いづいて」と書いたということが分からなければならないのですが、あの記事は前にも後にも守備面のことは何も書いていないのです。
何も触れていないことについて「勢いづいて」と書かれたら、矢張り(?)となるのではないかと思います。
 野球の様に最低三人もの打者が攻撃のために打席に入り、いったん塁に出た走者が盗塁を図って投手の投球を乱そうとしたりする駆け引きの多い複雑な野球にあっては、触れていない状況をその場にいないものが理解することはできません。

 例えば、法大が8回、9回のときにそれぞれ慶大のエラーまたは死四球によりノーアウトフルベースという場面を連続して現出させていれば、野球を知るものは、これをして「守備が万全であった。」とは表現しません。「辛うじて振り切った。」とか「相手方のまずい攻撃に助けられた。」ということになるでしょう。
 そういう事実があったかどうかに触れずして、「勢いづいて」という表現でもって<守備面で万全であった>と理解させることは無理があり、無理な表現ならば普通は違和感を持つのが当たり前だろうと思っています。

 私の違和感の説明はそういうことでしたので補足させていただきます。[1997.10.1]