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昼の散歩・銭瓶橋(ぜにかめばし) 16
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ガードに入る前に、その入口に「銭瓶橋町高架橋=>」という表示があった。
また、このガードを抜けるときには「<=大手橋高架橋」という表示があったか
ら、この「常盤橋架橋道」から東京寄りのガードが前者、神田寄りのガードが後
者ということになる。ちょうど、富士銀行本店前の通りから八重洲口へ抜けるあ
たりのガードが銭瓶橋町高架橋になる。
しかし、銭瓶橋町なんてあったのかナと思っていると、常盤橋架橋道を出たと
ころの日本ビル・三越大手町別館の前に、煤けた感じの小さな表示版が大きな銀
杏の木の傍に立っていて、銭瓶橋のことを説明してくれていた。
それによると、昔・・・といっても昭和25年までこの近辺一帯はお堀であっ
て、日本ビルの常盤橋に面したあたりに橋があったようである。
大手濠のときは「濠」と書いたが、ここでは「堀」と書く。これはいずれもそ
の場の資料によったもので、いずれも真実であろうという推量による。そしてこ
の橋を銭瓶橋と言ったのだが、何故そう言ったかということについて3説が書い
てある。
1説は、ここに堀をつくろうとして掘っていたときに銭の入った瓶を掘り出し
たからだというものである。
2説は、ここの近くで永楽銭の交換を行ったところから「銭替橋」といったも
の、ということである。そうすると表示板には定かに書いていなかったが、ゼニ
カエが訛ってゼニカメになったものであろうか。
3説はこの近くで両替をするものが市をなしていたので両替に手間取り、この
ため両替を効率的に行うため仲間を制限して両替を行ったので「銭買橋」といっ
たというものである。これもゼニカイがゼニカメに訛ったものであろうか。
千代田区教育委員会の表示板には、3説の銭買橋説を補強するかのような話が
付け加えられていて、江戸時代には「ぜにかいばしを玉かずらぬけ」ということ
が言われたという。表示板にはないが「玉かずら(原文では「かずら」は漢字で
あるが鬘ともすこし違っていて表示不能)」とは源氏物語に出てくるヒロインの
ことかと思われる。そして由来は、お城の奥女中(玉鬘か?)が城外に出るとき
は、この橋の番所で通行小切手の提示が必要だったが、しかし橋の下からは船で
自由に抜け出られたことを言う様である。一種の知り抜けの、あるいはザル法の
存在を揶揄した言い様のように感じられる。
千代田区教育委員会の表示板には、さらにこの地の歴史として、「そぞろもの
語」(そぞろものがたり・寛文18年印本)という本に天正19年(1591年
)にこの地で伊勢の与市というものが風呂屋を営み、お代は永楽銭で受領したと
いう記録もあるそうである。
永楽銭は寛永通宝が鋳造されてから流通しなくなったと言われるから、(1説
は別として)2説、3説と伊勢の与市の話とを併せ考えると、この頃(徳川家光
時代)に両替が盛んに行われ、それからの由来ということになるのであろうか。
それにしても、このすぐ近くに日本銀行本店があるというのも面白い。
平成4年11月30日のこと

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