
震災の後を留める大公孫樹

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昼の散歩・震災の後を留める大公孫樹 3
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立像の近くにあるボードは、中年のご婦人が顔をくっつけて読んでいたので、
ゆっくりと近寄ってみた。しかしそこには立像の説明版はなく、関東大震災で生
き残った大銀杏の樹の説明をしているだけであった。なるほど気がつくと灰色の
地肌ではあるがその中に黒ずんだ部分をかなり残した大きな銀杏の樹が、お堀に
かかる部分の枝と幹の上方部分が切られた状態で大きな息をついていた。
お目当ての立像の説明ではないので、はてどうしようかと迷ったが、丁度振り
向くとこの大手濠緑地で休憩しようと思ったのであろうか、昼休み皇居一周ジョ
ギングをしていたらしい3人の若者が入ってきて、立像に向かって右側にある石
版の前に立って覗き込んでいる。
「あれ、あんなところに石版があったのか」と不思議に思ったが、そういえば
先刻、背広をきたビジネスマンが後ろ向きに立っていたところだったから、石版
は彼に隠れて私にみえなかったのだった。
それでは立像の石版を読む前に、先にこの銀杏の木の説明を読んでみようと、
また銀杏の方を振り返った。
銀杏の説明版を読んでみると、この木は、元は今のパレスサイドビルや住友商
事ビルの近くにあった当時の文部省の敷地にあったもので、150年の樹齢をも
つ公孫樹であるという。その敷地一帯も関東大震災の直撃を受けたが、この公孫
樹は生き残り、震災後の復興事業に際し、これらの木が伐り倒される予定であっ
たところ、当時の中央気象台長 岡田武松が帝都復興局長官 清野長太郎に話を
してここに移植されることになったものだそうである。
関東大震災といえば大正12年だから、70年ちかくもここに息づいていたの
である。お濠端のたくさんの木々に隠れて、このような因縁をもつ木が、今は太
平洋戦争後に比べて一変したであろう近代的オフィス街大手町・竹橋を皇居と共
に見つめていたのである。
ところでボードには「銀杏」ではなく「公孫樹」とあった。「いちょう」はこ
のほか「鴨脚樹」とも書くらしい。「公孫樹」とは、広辞苑によると老木でない
と実らないという意味、また、孫の代に実る木という意味の漢名であるという。
この樹をみるとたしかに「公孫樹」という感じのする古木である。
平成4年11月25日( 水) のこと

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