今回はFメロウの句会での第4回から第14回までの入選句を掲げました。



掲げる基準は、前回同様、句会での互選で1点以上の選句があったものです。
また今回から、このほかに私が勤め先での句会で入選した句も掲げることに致しました。
なお、前回の第1回から第3回までの句はこちらです。


作品編




兼題・「米」


兼題・「冬帽子」


  • 無邪気顔冬帽子をも玩具にし

          


    注解編

    転載を避けるため、自句注解・批評の別なく要約しました。


    ○ 春立ちて子犬転げる砂場かな


    早春、あるいは春の喜びがよく詠まれている、という評が多かった。
    しかし、「春立ちて」は「立春の」の方がいいように思うという評、出来のわるい句 とは思わないが、素材のあつかい方が平凡だという評もあった。


    ○ 紅梅の咲きし校庭人気なく


    小学校の日曜日早朝の校庭を想起し、人影のないひっそりした校庭に紅梅が咲いている情景を描いている地羽、という感想があった。
    いつも大勢の子供達が群がっていて目立たなかった紅梅が今日は際立っているという。


    ○ 干鱈ありしめし合わせて酌み交わす


     干鱈が手に入った、といって、普段から気持ちが通じ合っている友人と一緒するに限る、そう思って友人を呼んで共に飲むという、素直な気持ちの表現がよい、そういう評があった。


    ○ 正信偈味わい深き蓮如忌よ


    「正信偈は正信念仏偈の略で真宗の経典」とした上、格調のある句だが「よ」という仮名でおさめたところに一句の坐りの悪さがあったのではないか、という評があった。
    この句の場合なら「蓮如の忌」とした方が良いとしている。


    ○ 沈丁の香り収めて道に出づ


     散策の道筋、見やると白い沈丁花があり、惹かれるように1歩2歩,近づいて思わず深く息を吸い込み、そして思い出したように元の道に戻ったという、感情を押さえ、写生に徹した所に奥行きの深さを感じる句である、という評があった。
     この句は玄関前に咲いていた沈丁花の香りが好きで、家を出る前にそっと顔を寄せて匂いを嗅いでから出掛けていたときの句でした。


    ○ 魁偉とはいえども虎魚眼が哀し


     このオコゼは作者には食べられなくなかったろうが、自分にならきっと笑ってくれたと思うが、、、というユーモアな評があった。


    ○水盤に紫布を敷きたり鳥かぶと


     鳥かぶとという、ちょっと恐ろしげな植物を、とてもきれいに表現していることに惹かれた、という評があった。
     自句自解によると「鳥かぶとの花が勤務先の水盤に活けられていたのはまだ9月の終わりだったので、まだ扇風機が回っていました。
    その風が花に当たると時々青紫の花びらが水盤に落ちてしまいます。他の花はそんなことはなかったのですが鳥かぶとは少し落ちやすいのでしょうか?
    三日ほどしたときに水盤を覗いたら、水盤の中が青紫色の衣のハンカチでも敷いた様に綺麗な色の花びらで埋まっていました。そのときの情景です。」とある。


     

    ○ 新牡蠣の五つもありて弾む宵


    海外勤務していて牡蠣を楽しむ季節に、魚レストランで牡蠣と店のハウス・ワインを楽しんだ事を想い出した、という評があった。
    舌なめずりをしている作者の顔が見えるようである、とも、、、、


    ○ 河鹿鳴く流れの岸にただ立てり


    「この句は松山オフの翌日、会員の方達に案内してもらった内子町の農業センターの後ろを流れる川に立ったときの光景」という自句自解がある。
    「岸の対岸は竹林の多いところで、その手前に透き通った水の川が流れていました。静かなところで、河鹿の鳴く声が聞こえ、そこに立っていると日本画の中にいるような感じが致しました。そのときの思い出を留めたくて作った句です。」とある。
    この句の「ただ」の使い方には厳しい批評があり、一人の方は「鑑賞者をして作品の方へ、向かせようとする強さが有るような気がする。」とあった。


    ○ さやさやと囁くばかり岩清水 


    「この句は先年白馬村に遊んだときの、お花畑へ向かう途中の道で見た光景を詠んだもの」という自句自解あり。
    「回りは他のハイカーもあんまり無く、静寂そのものでしたが、その中にあって清水の流れ出る音が印象的でした。」という説明もある。


    この句の「ばかり」について二人の方から違和感があるとのコメントがあった。
    限定、強意の副詞については留意する必要があると思った。

    ○ 素足噛みくすぐる砂を波覆う


     この句は砂浜続く故郷の海で遊んだときの記憶をもとに作った句であるという自句自解がある。
     この句の「噛み」、「くすぐる」について「比較的粒の粗い砂浜なので、波打ち際を歩くと結構砂がか弱い足の裏に食い込んできます。
    それがくすぐったく或いは噛まれた様な気持ちになるので一寸急ぎ足になったり走ったりるのですが、その足音の上に波がサーと静に打ち上げて来る様が、何か波が砂をたしなめるように見えた、という情景でした。」としている。

    なお、次の一文、問題があるかもしれないので、識者のご意見を伺うために掲げておくことにしました。
    「初め、俳句というものは吟行会などのように、主として面前の事象について沸き起こった詩情を表現するために作るものだと勘違いしていました。
    でも少しばかり他の先輩と付き合って参りますと、どうやらそうでもないらしいと気づいてきましたので、最近は昔のことを題材にして作ることもしています(こういう理解が間違っていましたらご指摘下さい)。


    ○ 滝落つる御堂の近く虹映えて


     この句は故郷の近く、秋田音頭で歌われる「八森(はちもり)ハタハタ」の町、八森町にある白滝神社の思い出です、との自句自解あり。
    なお、この神社は7月31日頃に夏祭りがあり、この夏祭りのときは町の若者らに担がれたお神輿が、白滝(シラタキ)という神社の後ろにある大きな滝の中に入って行って滝浴びするという奇習があるので有名。
    この八森町はJR秋田支社管内の五能線にありますが、ここは世界遺産に指定された白神山地の近くでもあり、海岸線が綺麗なところ。
    グランドキャニオンならぬ「日本キャニオン」という渓谷や、十二湖(じゅうにこ)という奇勝もある。


    ○ 憚りて啼く鈴虫や通夜の庭


     「あるお世話になった方のお通夜は、庭先に面した座敷に飾られた仏壇に向かってお別れする形式でしたが、庭が大きくて虫の音も聞こえました。
    でも、弔問客が往来する関係もあってか、か細いものでした。そのときの情景だったのです。」との自句自解がある。


     なお、「通夜の客」ではどうかという指摘があった。


    ○ 坏に落ち葉舞い入る庭の宴


    青梅での全国オフのとき、ままごとやの庭園で参加された会員の方達と寛いでいるときの出来事。
    即興で出来上がった句を温めていた、との自句自解がある。


    ○ 紅葉道日暮れ早きを恨みつつ


    「青梅での全国オフのとき、河合玉堂美術館見学の後急激に日が暮れてしまいましたが、そのときの情景を思い浮かべました。」との自句自解があった。


    ○ 艶かな白さなるかな今年米


    「兼題なので仕方なく新米を買ってきてもらって、これをみて一所懸命考えましたが結局何も句が浮かびませんでした。
    仕様がないから夕御飯に食べたのですが、「おっと、、これだ!」とばかり、見つけた(?_?;) ものです。」との自句自解がある。

    続いて、
    前回掲載した俳句もどうぞ。