| 幸 齢 ネ ッ ト |
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| 「青春」の詩の周辺(2) |
ウルマン「青春」の詩の転載事情 ウルマンの「青春」の詩をこのホームページに転載している経緯については説明 がいるかもしれません。 そしてそれをいささか硬い文章で書くことは構いませんが、それでは読者が面白 くないでことしょう。 そこで、この間の事情に触れた会話がありますので、ここでご紹介致します。 もっとも、この会話はパソコン通信の高齢者フォーラムであるFMELLOWで の会話です。ですからその転載は、私自身のものは自由ですが、他の方の発言部 分は関係者の了解が必要です。 しかし、今回は他の方の発言部分が大事なのではありません。ですから、その部 分は割愛し、このホームページに転載している事情に関する私の発言部分だけを 掲げることに致します。 |
ーMES( 6):喫茶メロウ ●みんなで楽しくお喋りを 02/02/11ー 27925/28041 NAA03160 能彦 「青春」の詩の新たな紹介 ( 6) 02/02/06 22:40 今日の日本経済新聞夕刊に、宝塚歌劇団理事長・植田紳爾氏がサムエル・ウルマンの「青春」の詩を紹介していました。 残念ながら紹介した欄はコラム欄で、字数も550字くらいですから全文紹介ということではありません。でも、老いとは年を重ねるということではなく、理想や夢を失うことだということをコンパクトにまとめた良い随筆だと思いました。 私は、自分自身がウルマンの「青春」の詩を幸齢ネットの中心的な柱として掲げているものですから、どこかで誰かがこの詩を紹介しているのをみかけますと、つい、「どういう方かな?」という目で見てしまいます。 植田氏は宝塚歌劇団の方ですから関西なんでしょうね? この方は、文中でこの詩を「三井住友カードの加藤重義社長から頂戴した」と書いています。「三井住友」と聞くと、今ではどうか分かりませんが、もともとは関西系ですよね。 そういえば、先だって私が加入している産経新聞のweb版で検索してみたことがあります。そのときの結果は「読者の声」でわずか3人の方が取り上げただけでした。 ところが、その3人の方がいずれも関西でした。産経新聞にお願いしたところ、そのうち二人の方とは連絡が取れましたが、なんと一人は元会社経営者でした。 こうやってみると、、、というほど大袈裟なものではありませんが、私の知っている限りでいうと、ウルマンのこの詩を愛好しておられる方は、関西の方か会社経営に関わる方が多いようですね。 この詩はいろいろな方が訳しておられます。一説には松下幸之助さんが訳したという話もあります。 でも、現在確かなところで有名なのは岡田義男さん(故人)の訳と、関西経営者連盟会長だった宇野 収さん(故人)と作山宗久さんの共訳のものがあります。 岡田さんの訳はトッパン・ムーアの元社長だったこの宮沢次郎さん(故人)が主宰した「青春の会」を通じて広まりましたが、宮沢さんの著書「感動の詩賦・『青春』」を読んでみると、やはり経営者の方が好んでこの詩を取り上げたようなところがあります。 また、宇野さん、作山さんの共著である「『青春』という名の詩」を読むと、そもそもは関西財界の重鎮である宇野さんが日本経済新聞のコラムでこの詩のことを書いてから反響を呼び、それがきっかけとなって広まっていったようです。 そうするとこの詩は、詩の紹介者の関わりの範囲に端を発し、徐々に関係者の間で広まっていたのでしょうね。だから、やはり関西の方か会社経営に関わる方という傾向があってもおかしくないのかもしれません。 現在では、宮沢次郎さんが昨年の3月にお亡くなりになられ、「青春の会」は解散したと聞いています。宇野 収さんも鬼籍に入っておられ、紹介者としては作山さんだけが生存しておられて、現にご活躍中のようです。 今回、植田氏が宇野さんと同様日本経済新聞のコラムで紹介されましたが、その反響はどうかなと、何か変化が起こることを心待ちにしているような関心を覚えています。これを機会に、またこの詩の新たな、そして強力な紹介者が現れ、高齢社会となった日本において、新しい視点からこの詩が取り上げられるといいがなあ、と思っています。 ---------------------------------------------------------------------------- この発言について、数人の方からコメントがありました。 その詳細はここでは省略しますが、一人の方からは,その詩をその会議室に転載 して欲しいという内容が含まれていました。 もう一人の方からは、その詩は松永安左衛門氏の訳だと聞いている、というもの でした。 以下は、このコメントに対する私の発言ですが、発言番号にこだわらずに掲げます。 ---------------------------------------------------------------------------- 27939/28041 NAA03160 能彦 RE:「青春」の詩の新たな紹介 ( 6) 02/02/07 10:25 27935へのコメント コメント数:2 ○○さん、こんにちは いろいろと示唆に富むコメントをいただきましてありがとうございます。 まず、簡単なことからお答えいたします。 >詩の全文をこの会議室に引用することは、問題があるかもしれません。 >どういう形(詩集本など)でなら拝見出来るのか、御教示願えませんでしょう >か かつて私がこのエフ・メロウのシスオペだったかスタッフをしておりますときに、この詩をこの会議室にアップされたかたがおられました。unkさんと言います。今もおられるでしょうか。。。。 そのときには私が「著作権者の転載の許可がない」ということでご注意申し上げまして、unkさんがその許諾を得られました。私のホームページではそのことにも触れています。 その後、私が自分のホームページの柱にしようと考えまして、著作権者である「青春の会」の会長である宮沢次郎さんからホームページへの転載の許可をいただきました。 したがいまして、○○さんがインターネット環境をお持ちならば、幸齢ネットのURLを辿られれば、全文を大きく簡単に読むことができます。 また、たしか以前に○○さんはそうした環境にないと伺った記憶がありますが、そうであれば、エフ・メロウではデータライブラリから探すしかありません。 詩集ということでしたら、宮沢次郎さんの本は絶版ですが、宇野・作山共著はこれは産能大学出版会から今でも出版されていますから、それでお求めなることができると思います。 ただ、私が宮沢次郎さんから了解をいただいたときは、「営利目的に使用しないのであれば転載は自由です。」とお話をいただいています。 したがいまして、私自身はこのエフ・メロウにいつでも転載してあげられますし、仮に責めを負うようなことがあってもエフ・メロウには迷惑を掛けないで済むと思っています。また、転載する場合、経緯からしてこの詩は10番会議室に掲げるのではなく、この会議室で構わないと思っています。 さりながら、今は私はシスオペでもスタッフでもありませんから、これについてはスタッフの方のコメントをいただいてからにしようと思います。 スタッフの皆さん、よろしくお願いいたします。 それから、 >○ ノーベル賞受賞者は、関西の大学に多いようだーーーつまり、東京のように、 >○ 関西には、寄贈者の名前を冠した学校、ホール、道路などが多いようだ。東 >○ 財界人というと、一定の年齢以上の方が想定される。 こういったことからのお話には共感いたします。 でも、この詩に限って言えば、アメリカではあんまり広まらず、日本で有名になったというのは、原文もさることながら翻訳が良かったのでしょうね、、宇野・作山訳は万人向きですが、私のホームページに掲げている岡田義男訳はやや古風です。 私が「新しい視点で」言うのは、その克服も視野においています。 >私の知人に、詩人がいますが、近く、小中学校教師たちがその詩作を教材に使 >って実験授業を試みるとのこと。どういう切り口になるのか、私には見当もつき >ませんが、これも「一つの視点」と言えるのではないか、と感じました。ーー高 >齢者向き視点とは言えませんが。 確かに高齢者向きの視点ではないのでしょうが、でも、今、お名前が出てきませんが宇野・作山共著の解説を書いた日本経済新聞の編集委員の方は、この詩は若者にこそ読ませたい、と書いていました。私も同感なんですよ(^_^)。 では、スタッフの方のコメントを拝見してから転載するかどうか考えます。 -------------------------------------------------------------------------------- (注)上の「スタッフの方のコメント」についてはフォーラム・マネージャーから転載 の許可がありました。 その際、フォーラム・マネージャーの紫竹のさんから、googleで「サムエル・ウルマ ン」で検索た結果、として「1924/3/21没 84才」というデータも見つか ったので「すると、死後50年たっていますから、この人の詩の転載は原作のままな ら自由、訳ならば訳者の許可を貰えばいいことになります。」とのお話がありました。 ---------------------------------------------------------------------------------- 28024/28041 NAA03160 能彦 RE:「青春」の詩の新たな紹介 ( 6) 02/02/10 14:49 27985へのコメント コメント数:1 ○○さん △△さん □□さん コメントをありがとうございます。 また、お礼やお励ましをいただきまして恐縮しています。 過日、○○さんからウルマンの経歴等についてお尋ねがありましたがまだお答えしていません。そこで、これを簡記いたしまして御礼に代えさせていただきます。 サムエル・ウルマンは1840年4月13日に生まれ、1924年(大正11年)3月21日に亡くなっています。 南北戦争に南軍として従事し、商業に従事し、ユダヤ教のラビを務め、哲学者であり、また進歩的な地域活動家でもあったサムエル・ウルマンは、ドイツで生まれ、両親に従ってフランスに移住し、更に11歳のときに両親のアメリカ移民に従ってミシシッピのポートギブソンに移住しました。 ウルマンは公式には11歳から18歳までの間に公式教育を受けただけでしたが、後には「ウルマン博士」と呼ばれるに至りました。マーガレット・E・アンブ7レスター著「サムエル・ウルマンの遺産とその生涯」(作山宗久訳・産能大学出版部刊)によりますと、ウルマンは「私は肉屋と牧場で学位を得たに違いない。」と冗談を言っていたそうです(19ページ)。 南北戦争後、25歳のときにナチェズというところに移り、従兄弟と乾物、野菜、農業関係資材をあつかう商会を設立、経営にかかわります。そしてその傍ら、ブネイ・イスラエルというユダヤ教の団体に加わり、ここで指導力を認められ、指導者になっていきます。ウルマンはそこでの彼の協力者であったエマという女性と結婚します。 1870年からほぼ15年間、ウルマンは在米ユダヤ協議会の組織結成に加わって幹部となったり、ナチェズ市の政治に関わったりします。 その後、ウルマンは家族と共に急成長期にあったバーミングハムに移り、ここで金物店を皮切りに事業家として発展します。他方宗教家としても地域の信頼を増してゆき、更に市の教育委員として活躍しました。もっともユダヤ人であるが故に、市の上流社交クラブからは締め出されていたようです。ウルマンは聴力障害の為に1908年に公の仕事からは引退しまし たが、その後も多忙であったようです。 ウルマンの「青春」の詩がいつか書かれたかははっきりしていませんが、ユダヤ教、妻エマ、兄弟愛、人生、死、日常の話題のことについて、何か心の留まることがあると詩を綴っていたようです。逸話としては78歳のときに書かれたものといわれています。 ウルマンの詩集は家族・知人が編集して縁者に配った「80年の歳月の頂から」という私家版一つだけです。これは作山宗久さんの訳で「角川文庫ソフィア」に収められています。 以上、やや長文となりましたが、これ以外のことは、また自分でも整理をしていってみたいと思っています。 ありがとうございました。 27975/28041 NAA03160 能彦 RE:RE^2:「青春」の詩の新たな紹介 ( 6) 02/02/08 15:03 27968へのコメント 紫竹のさん こんにちは コメントありがとうございます。 コメントを拝見しますと、少し説明不足だったかもしれないと反省しましたので、お尋ねした詩の著作権の現状について補足しておきます。 お話の通り元の詩についての著作権は消滅しています。 私の転載しようとしている詩は岡田義夫氏の訳詞で、その著作権は「青春の会」にありましたが、青春の会は昨年解散しましたので現在は岡田氏のご遺族に復帰したのではないかと推測しています。 この岡田氏の詩の著作権はあと数年残っていますので、この詩を有償の出版物で刊行しようという場合にはなおご遺族のご了解が必要です。 以上、補足しておきます。 28041/28041 NAA03160 能彦 RE:「青春」の詩の新たな紹介 ( 6) 02/02/11 14:21 28030へのコメント △△さん こんにちは コメントありがとうございます。 > 遅ればせながら、この詩は占領されていた当時、マッカサー元帥が座右の言葉に > していたと聞いています。 そのようですね。マッカーサー元帥は昭和17年3月までコレヒドール島にいたそうですが、そのときにもこの詩を傍らにおいていたようです。 > それを「電力の鬼」 と言われた「松永安左衛門翁」が和訳されて、(或いは 誰かに和訳させて)経営に携わる方々に配られたと翁の伝記に記載されていま す。 この詩はいろいろな方が訳しておられます。私も#27925に「一説には松下幸之助さんが訳したという話もあります。」と書いています。 ただ、私は翁の伝記を読んだことがありません。恐縮ですがその箇所を書名と共にお示しいただければ自分で調べたいと思います。 ところで、宇野 収・作山宗久共著の「『青春』という名の詩」では、その8ページに”☆日本翻訳版の「青春」(松永安左エ門訳との説”として「青春」という詩を掲げています。((注)氏名の表示は原文のままです。) 松永安左衛門さんの伝記には、この詩も掲げられているのでしょうか? 私は、宇野・作山共著も当該の詩の原文を当たった上その著書に掲げていると思っているのですが、実はこの「青春」の詩は私が掲げた岡田義夫氏の翻訳と一字一句同一なのです。 他方、宮沢次郎著「感動の詩賦・青春」は宇野・作山共著の後に出版されたもので、宮沢次郎氏はこの共著を「労作で」自分のこれまで知らなかったことも調べていただいていて感謝している、とまで述べているのですが、松永安左衛門氏翻訳説については、この著書の中で一言も触れていません。 宮沢氏は宇野・作山さんよりも前から、この詩の原作者が誰であるか、翻訳者は誰であるかを20年も前から調査しておられて、遂に、昭和60年2月9日に岡田義夫氏が翻訳者であることを突き止められたのです。 宇野・作山共著は、初版が昭和61年10月30日で、宮沢氏が前掲書の初版を出されたのは昭和63年1月30日ですから、宮沢氏から宇野・作山両氏とのコンタクトがなかったことと、宮沢氏も財界人であることから敢えて「電力の鬼」と言われた偉材のことには触れなかったのではないかと推察しています。 なお、宮沢著によると、岡田義夫氏は埼玉県出身の羊毛関係の業界に長く貢献した人で、晩年は大学講師も勤めました。岡田氏は日本フェルト統制組合専務理事の当時、リーダーズダイジェスト昭和20年12月号に掲載された英文の詩を読んで、これをその12月か翌月に翻訳し、専務理事室の壁に貼っていたのですが、これを親友の森平三郎氏が訪れたときに発見、これを書き写して保有し、昭和33年に至って、東毛毎夕新聞の「雑草苑」というコラムを担当したときに紹介したことで初めて世に出た、ということになっています。 岡田義夫氏は昭和43年1月に76歳で亡くなられています。 ということは、松永さんと岡田さんとの間にも接点がなかったということになると思います。 ま、しかし宇野・作山共著も宮沢著も、このオリジナルは私家版詩集「80歳の歳月の頂から」にあるだけで、この他の原文は部分的に添削が加えられているということを紹介しています。 例えば、先日アップした中の、クライマックスとでもいう3行 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。 はオリジナルにないのだそうです。 ということは、このサムエル・ウルマンの詩が原文からオリジナリテイを変えつつも、同時に人々に愛され、共有される形で生き続けてきたということであって、翻訳についても、それが真実は誰かということは著作権の問題を別にすれば、我々に はあまり意識しなくともよいものだと思います。 逆に、この詩を様々な形で温存、紹介してくれた人に感謝したいと思っています。 ということで、私も△△さんには、お陰さまで岡田義夫氏翻訳の経過を記すことができましたことを感謝したいと思います。 大変ありがとうございました。m(_。_)m |