講演記録5

「国際高齢者年を考える」


(注)この講演記録は1999年9月に行なったものに、補筆、訂正を加えたものです。
 なお、講演者の都合から実際に講演したものとは若干異なった表現に変えている個所があります。


目次


  3つのキーワード

 「高齢化社会の意味」

 「国際高齢者年」の意義と日本の取り組み

 これからの時代と高齢者の位置付け

 私と「国際高齢者年」


 はじめに

 私は、仕事を除けば日常的に3つのキーワードに関することを追いかけています。

第一はインターネットというキーワードであり、これは今の私の生活の6分の1ほどを占めているといえます。

第二は、高齢社会というキーワードであり、これからの少子・高齢社会を自分は如何に生きるかということを考えつづけています。

第三は俳句というキーワードであり、自分の心の安らぎを叶えてくれるものという確信の下に寸暇を見つけては研究しているところです。




 これらの3つに共通するものは何かというと、私は「幸齢時代を如何に楽しむか」というテーマであると考えています。

 ここでいう「幸齢時代の」の「コウレイ」とは「高齢」ではなく「幸いな年齢」と表現するものです。

 今日は、このうち第二のキーワードである高齢社会ということについて取り上げ、特に今年がその年である「国際高齢者年」について考えていることをお話してみたいと思います。

 話の順序としては、まず言葉の定義を明確にしておきたいと思いますので、「高齢化社会」とか「高齢社会」というがこの二つは違うのかどうかということ、「国際高齢者年」とは何かということをはっきりさせておきたいと思います。

 そして、日本ではこの国際高齢者年についてどのような取り組みがされているのかご紹介し、本題として、これからの時代と高齢者の位置付けについて考えることを述べたいと思います。

 ただ時間が限られていますので、主に私が何を考え、どのように行動してきたのか、ということが中心になりますし、それはまた一般的でなく私の個人的な意見が中心になりますことをあらかじめお断りしておきたいと思います。

 また、先日、、それも先週に別の方々の合宿研修がございましたが、その場では「ディジタル・コミュニケーションのすすめ」と題しまして、主に第一のキーワードであるインターネットについての私の経験、実践をお話しました。
これは第二のキーワードとは異なるので、あまり話が重複することは無いと思いますが、今も申しましたとおり、話の土台が「幸齢時代を如何に楽しむか」というテーマでありますから、時には重複することもあります。

 当日、私のお話をお聞きいただいた方が、本日この場で何人いるかなあと思って考えてみましたら実は1割ほどおられました。この方々には、不幸にして話が重複しましても、まるで初めて聞くような素振りをしていただきますようあらかじめお願いいたします。





 「高齢化社会」の意味

 まず、既にご存知ではあるかと思いますが、しかしながらよく誤解される言葉でもありますので、「高齢化社会」と「高齢社会」というこの二つは違うということを最初にお話しておきます。

 日本は現在高齢社会を迎えています。
この「高齢社会」という言葉は国連、国際連合が定義した言葉でありまして、その国の人口の中に65歳以上の高齢者がどの位の割合を占めるかということで用語が決まるようになっております。

 まずこの割合が7%の場合は「高齢化社会」といい、14%を越えますと高齢社会ということになります。
日本は昭和45年に高齢化社会に入り、これが平成7年には高齢社会に入りました。つまり「高齢化」の「化」の字がなくなりました。
「化」などという本来のものではないモノを本来のモノであるかのように装う表現をしなくとも良くなったわけで、立派に、、、というと語弊がありますが、れっきとした「高齢社会」になったということであります。

 このように「高齢化社会」と「高齢社会」は異なるものであります。

 ところで、この人口比は、2020年(平成32年)には4分の1の人が65歳以上の社会になろうとしています。
こうなりますと、もはや国連で作った基準をはるかに越えるわけで、これは「超高齢社会」といわざるを得なくなってまいります。

 現在の年齢で言えば42歳以上の人が2020年には4分の1の人が65歳になりますから、これらの人がこれに該当することになるわけです。ということは、おそらくこの会場にいる人達の殆どではないでしょうか。
したがって、私を含めましてこういう世代はこれからの時代をどう生きていくべきかを考えて行く必要が当然有るわけです。

 ただ、「これからの時代をどう生きていくべきか」という、言うなれば人生観を左右するような課題を私如きがここで論ずることはできません。
少しでも時間があれば私なりの幸齢社会における楽しみ方について、私の拙い経験に基づいてご提言したいと思います。

 ところでちょっと横道に入りますが、私はインターネット上にホームページを持っていますが、この私のホームページでは「幸齢」と言う言葉を使っています。

 これは無論「高齢社会」の「高齢」の「高い」という字をもじって、「年齢が高い」ことを「幸福な年齢になった。」という意味におきかえたものです。

 いまや高齢社会あるいは高齢世代の呼び方については様々な試みがされています。
 また、事柄によっては法律に基づいた表現もなされています。例えば「シルバー世代」あるいは「シニアの方」という言い方もありますし、長寿社会という言い方もあります。

 しかし私は本来の日本語である漢字を使うならば、「幸齢」あるいは「幸齢世代」という言葉が今後の時代を表現する象徴的な言葉として一番相応しいのではないかと思っています。

 高齢社会のとらえ方について、これまでの多くの考え方は、高齢者が多くなることによって社会の停滞を招き、年金や医療費の増加によって社会的負担は増大し、寝たきり老人や痴呆性老人が増えて活力が減少するというものでした。

 今でも「高齢者」というと、イコール「社会的弱者」というイメージが強いようです。

しかし国民の平均余命が伸び、かつ国民の4分の1が高齢者であるという現実、更に高齢者が活発な社会生活を展開している現実をみると、もはや「高齢者」イコール「社会的弱者」とは決め付けることはできなくなっています。
 また、もともと「高齢者」イコール「社会的弱者」ではなかったのですし、そうあるべきではなかったのですが、いつのまにか間違った印象ばかりが先行していたのです。
 ですからこれを「幸齢」と置き換えることは高齢社会をどう認識するかということを考えたときに大きな意味があります。

 また、高齢者の多くの方が、現役をいったん退いたり、あるいは個人事業者の方でもお子さんなどの後継者が育ったことで事業の大きな部分を任せるようになったということならば、これは「これからはほんとうの世代を楽しむ。」という気持ちが全面的に、あるいは全面的にそう思うことが難しくとも、かなりの部分、そういう気持ちがあるならば、やはり一番「幸齢」ということが相応しいと思います。





 「国際高齢者年」の意義と日本の取り組み


 ところで、今年は「国際高齢者年」になっています。
 このことは案外ご存知の方が多くないのではないかと思います。
 どうしてそういうかと言いますと、私自身が加入しているパソコン通信フォーラムは、これは高齢者がパソコンを通じてコミュニケーションを深めることを目的としたフォーラムなのですが、今年がこういう「国際高齢者年」であるということは日常の交流や会話に見られる限り参加者の殆どが意識していません。

 また、私自身、インターネットに高齢者がコミュニケーションを深めることができるようにという目的で、誰でもが書き込める掲示板を一つ、ごく特定の人しか入ることのできないパスワード付の掲示板を一つ持っていますが、今年、この「国際高齢者年」であることを話題にした人は私以外は殆ど一人もいないからです。

 更にまた、一般のマスコミでも、このことを報じた新聞は、、、皆無ではありませんが、殆ど見たこと、聞いたことがありません。それほど自信を持って話しているのは、私は幸齢ホームページの「簡単覚書」に収録する記事を整理していることもあって、かなりの新聞に目を通しているからです。

 実は、この国際高齢者年は平成11年の1月から12月までの12ヶ月ではなく、昨年の10月1日から、今年の12月31日までの14ヶ月という変則的な期間が設定されています。
 ですから,既にこのことは昨年の段階で報道されてもおかしくない筈ですが、実際にこの「国際高齢者年」に関するニュースを新聞が初めて報道したのは、私の私の知る限り昨年12月5日に行われた東京高齢者協同組合主催の有楽町の東京国際フォーラムにおけるベートーベンの第9交響曲を演奏したコンサートのときでした。
 しかも報道した新聞が、「国際高齢者年」について「あまり知られていないが」というコメントをつけていましたから、「国際高齢者年」が昨年10月からだということも含めて知られていないのは確かでしょう。



 この「国際高齢者年」は、実は1992年の秋の47回国連総会において決議が採択されたことにより設定されているものです。

 こういう「国際高齢者年」が設定されたのは前年、1991年第46回国連総会において「高齢者のための国連原則」が採択され、この中では「高齢者の自立」、「(社会)参加」、「ケア」、「自己実現」、「尊厳」を原則としたのですが、この決議の実践を促進し、各国の政策、計画、活動において具体化することを狙ったものでした。


 1992年の総会では、このほか毎年10月1日を高齢者の日とすることが決議されていいるほか、各国政府内に「国際高齢者年」関連事業のための担当部局を設けること、「国際高齢者年」のための国内委員会の設置と民間の代表の参画、国連によるシンボルマークの作成と記念切手発行の検討、国連機関と全米退職者連盟(AARP)の共催によるポスターコンテストの実施などが採択されています。



 では、こうした決議に基づいて,日本ではどのような取り組みがされているのでしょうか。

 政府は総務庁が音頭を取って様々な取り組みを行っています。

 まず,昨年3月9日に関係省庁連絡会議が行われ、フォーカルポイント(日本の国際高齢者年の取り組みに関する窓口)が総務庁長官官房高齢社会対策室と定められました。

 また、同年7月14日には「国際高齢者年における取り組みの基本的考え方について」関係22官庁で申し合わせが行われました。

 総務庁では更に9月中旬から国際高齢者年に関するポスター等の作成・配布、政府広報誌への掲載等を行っています。

 また,民間団体との連絡会議も昨年10月15日に「国際高齢者年に関する高齢者関連団体連絡会議」を約60団体の参加を得て行っています。

 これらは準備段階の啓発活動とも言うべきものですが,総務庁は実際の事業としても平成10年12月2日にオープニングセレモニーとして「高齢者の人権とコミニュテイ」をテーマとする国際シンポジウムを行ったり、中央・地方における記念式典(中央式典は平成11年10月1日から3日まで)、記念論文の募集,世代間交流事例収集・顕彰などの事業を計画しています。


 これに照応して、地方自治体や高齢者関連団体においても様々な事業を行ったり、あるいは計画しています。

 これらについては総務庁のホームページ、特にhttp://www.somucho.go.jp/roujin/kanren.htmに詳細に掲載されています。


 しかし、こうした取り組みの経過や示された内容をみたとき,私は多少気になるものを感じます。

 代表的な点を上げれば昨年10月から始まったという「国際高齢者年」のオープニング・セレモニーが12月に行われたというのは,時期的に妥当なものだったのでしょうか(?)

 また各地方自治体や高齢者関連団体の事業概要をみると、多くはシンポジウム、講演会、啓発記事掲載が多いのは良いとして、その内容が介護,健康に関するものに集中しているように思います。

 当地の小田原市の場合は世代間交流や高齢者の社会参加を主眼として高齢者に人気のある映画放映、高齢者を対象とした料理教室等ユニークな事業を展開しているようにみえますが、他の自治体や民間団体の場合は介護・療養に関するテーマが大部分となっています。

 もっとも、社団法人中高年齢者雇用福祉協会のようにライフプランや中高年齢者の活力化、戦力化を前面に打ち出しているところがあり、他にも財団法人日本郵便友の会協会、社団法人福祉社会研究所、メロウ・ソサエテイ・フォーラム、高齢者年NGO連絡協議会の様に高齢者の自主的な行動を触発する事業を中心に据えているところもないではありませんが、これは明らかに少数というのが実態です。


 これらを先ほど説明した国連原則に照らしてみると「ケア」と「尊厳」については国,自治体,民間団体とも優先的な課題として取り上げているが、「高齢者の自立」、「(社会)参加」、「自己実現」についてはまだあまり明確に意識されていないということではないかと思います。

 民間団体の場合はそれぞれの団体の存立目的があるので,「国際高齢者年」に際しての事業を企画するに関しては、その団体の基本目的に即した事業を考えることにことになるだろうということは理解できます。

 然し,自治体や民間団体を含めた総体としてみれば、これはやはり「高齢者の自立」、「(社会)参加」、「自己実現」に目が向いていないことは事実だろうと思いますし、これが現在の日本の高齢者ないし高齢社会に関する認識だろうと思います。




 これからの時代と高齢者の位置付け


 さて、こうやって「国際高齢者年」という高齢社会にとってはまったく相応しい祝賀の年があるのに、現実の取り組みが今述べたようなものであるということはどう考えれば良いのでしょうか。

 私は、これはまだ高齢者とは社会的弱者だという意識が払拭されないからだと思います。

 高齢社会,高齢社会と言いながら、そう発言する人の目は現実に言葉を交わしたり、あるいは目の前で講演を聴いている元気な人が既に「人生50年」の時代においてはいわゆる「老人」であるとされていた人であることに気がついていないのです。

 わが国においては平均余命が50歳を超えたのは1947年(昭和22年)のことで,それ以来年々平均余命は長くなり,現在では大雑把に言えば人生80年の時代となっています。
 70歳前で死亡する人がいれば、「まあ、まだ若かったのに,,お気の毒に。。」という時代です。

 ということは、現代でも依然として寝たきりの人、長期療養を続けている人、痴呆性老人の方という気の毒な方はいるのですが、それは65歳以上の人の約10%に過ぎず、9割の人は肉体的にも精神的にも健全なのです。

 ですからこのことは大部分の高齢者は元気な人であると認識を変えなければいけないことを意味しているのです。
 否、中には肉体的に若い時代に比べて健康を損ないがちであるという人はないわけではないでしょう。しかしだからといって社会的弱者であるとまで思い込む必要のある人は無いと思ってよいでしょう。

 勿論、そのことは10%の人に注目しなくて良いと言うことでは断じてありません。これはまた十分なケアを講じなければならないのですが、しかし、そのために残りの9割の人も同視するのでは社会システムに欠陥が生じてしまうことになるでしょう。

 したがって何よりも大事なのは、まず、高齢社会というのは以前の「人生50年」の時代のご老人が沢山増加したという認識ではなく、「人生80年」という新しい時代があって、この時代は「人生50年」の時代とは別の時代であり、構造が質的に異なる社会であるという風に考えなければならないと考えます。

 因みに、「人生50年」時代の定年は55歳でしたが、戦前戦後を通じてこの時代の人は在職中に死を迎えるか、定年を迎えた人でも、以後生きている期間はあまり多くなかったのですが、「人生80年」時代の定年は60歳から65歳ですから、定年前に亡くなる人はなく、定年後も20年も人生を過ごすという計算になるわけです。

 こう考えれば、如何に社会そのものが変化したのかということがお分かりになると思います。

 「国際高齢者年」に際しての取り組みの中から私たちがしなければならないのは、まず現在の高齢者とは何か、つまり未だ社会的弱者なのかどうかということを考えることであり、次いで、高齢者の自立、社会参加、自己実現への方策を考えることであろうと思います。


 では、社会的弱者ではない高齢者は、実際に社会的に活動の場を与えられ、現実に元気に振舞っているのでしょうか(?)

 残念ながら、私はまだそこまで論ずる資格は無いので今日は控えておくことに致します。

 論者の中には、今の日本では高齢者には十分な活躍の場が用意されていないとする人もおります。
 私は、その考えは当たっていると思いますが、私が高齢者の皆さんと交流を続けている範囲はまだ狭いものですので、ここでは実証的な主張を掲げての積極的な支持をはしません。しかし、深い共感を感じていることだけは強く表明することにしておきます。



 ただ、ここではアメリカの全米退職者協会の活動が一つの方向性を教えてくれると思っています。

 全米退職者協会は非営利の会員組織で、50歳以上の人が年間8ドルの会費を納入することで会員となることができます。

 そして、現在この全米退職者協会は3400万人という大組織になり、特に年齢による雇用差別撤廃という理念の達成に成功した組織です。
 従って、現在のアメリカには定年という制度はありません。
 アメリカでは雇用するに際して年齢差別をしてはならないことになっているのです。

 日本では定年後の再雇用というと極めて制限的な職種しかないことを考えると、 高齢者が社会的な活動の場を与えられていない原因として、雇用に際しての年齢制限が禁止されているかどうかもその一つであることがお分かりいただけるでしょう。

 しかも、この組織は政治志向が無いにもかかわらず,アメリカの大統領選挙にまで影響を与えるように影響力を増してきています。

 このことは、日本の高齢者も条件さえ備えれば社会を動かす原動力になりうることを示すものであると考えています。




  私と「国際高齢者年」


 私は、冒頭、仕事以外の3つキーワードについて日常的に追いかけているとお話しましたが、これらはまた「幸齢時代を如何に楽しむか」というテーマがあるともお話しました。

 幸齢時代を楽しむといっても現実には色々な楽しみ方があると思います。

 また、ボランティア活動に生き甲斐を見いだしていくのも幸齢時代の楽しみ方の一つであると思っています。
 特に、今や何らかの形でボランテイアに従事しているいわゆるボランテイア人口は2000万人と言われているのですが、この中には高齢者の方が300万人とも言われています。

 そして決して一人がひとつの楽しみ方しかないと言うことではなく、一つまたひとつと広がりをみせたり、或いは自分の考えたこととは違うため取りやめる、、などのプロセスを経て楽しみがより充実していくのだと思います。

 こうしたなかでディジタル・コミュニケーションに集まって幸齢を楽しむというやり方は,最近増えてきていますし、私は現代という時代を反映した発展的なものだと思っています。

 私は実際に高齢者の皆さんとパソコン通信やインターネットでのコミュニケーションでご厚誼を願っています。
 このコミュニケーションを私はディジタル・コミュニケーションと読んでいますが、ここで交流する高齢者の皆さんは実に元気であり、そしてディジタル・コミュニケーションを楽しんでいます。

 こうした限りにおいて、ディジタル・コミュニケーションに集う高齢者の皆さんは積極的な社会参加をしています。
 そしてこのディジタル・コミュニケーションを担うパソコンはこれからの高齢社会において有為なツールになると考えています。
 それだけに、この「国際高齢者年」の取り組みにおいてパソコンやディジタル・コミュニケーションが主役になれなかったというのは少しばかり残念な気が致します。

 私は現在57歳。「国際高齢者年」を終える2000年には現役を一応引退し、21世紀の仕事は後に続く後輩の方々にお任せするのですが、私自身はこのディジタル・コミュニケーションとそのツールを手にしました。

 また、今日はお話しませんでしたが、サムエル・ウルマンの「青春」という高齢者の心を激しく鼓舞する詩を得ています。

 これらのものがあれば、自立と社会参加を目指して進むほんとうの人生、自己実現の道に向かって進みだすことができるだろうと思っています。