講演記録3

「ウルマン」との出会い

(コミュニケーションのひろがり)


(注)この講演記録は昨年9月に行なったものに、補筆、訂正を加えたもので
す。この幸齢ホームページにはこの講演記録を含め、3つの講演記録が掲げら
れているが、実際に講演した順番は

1「ウルマンとの出会い」(この「講演記録3」である。)

2「幸齢の楽しみ方」(講演記録1)

3「インターネットから得たもの」(講演記録2)

です。


1 はじめに

 それでは第一講座受持ちの小林でございます。
 こういう風にやや長い時間を受け持って演壇に上がるのは久しぶりのことでありますので、やや緊張しております。
 特に手慣れた専門分野の講義ではありませんので、果たして会員の皆さんに考えが伝わりますかどうか心配もあります。
 でもま、今日は第二講座の前座の高座として軽くお聞きいただきたいと思います。
 居眠りされたからといって、私の方から後で苦情を申し上げるということもありませんので、どうぞごゆっくり聞いてください。

 特に今日は、皆さんや私どもが日夜苦労している現実の世界を忘れて、バーチャル世界、、あるいは電脳空間とでも言う様な世界に少しだけ足を踏み入れた話をしてみたいと思います。
 今、「電脳空間」と申しました。この言葉を何回も用いますので、耳慣れない方にはお聞き苦しいと思いますが、電気の「電」に脳味噌の「脳」で、意味するところは「パソコンが連結して作りだす仮想の世界」という程度のことです。何回も出てきますが「難解である。」などと仰らないで聞いていただければ幸いです。


2 話の手順

 それではどういう話をするか、その説明を致します。
 まず、最初にここに掲げてある演題、テーマの解説を致します。ここでは「ウルマン」とは何であるか簡単にお話しいたします。

 それから、私が電脳空間でどんなことをしているかお話しいたします。ここでは簡単に言えばパソコン通信やインターネットに精を出しているという話を致します。

 そして、続いてサムエル・ウルマンの「青春」という詩を自分のホームページに掲げた経緯をお話し、お手元にお配りしてありますこの詩が、自分にとってどんな意味があるのかをお話ししてみたいと思います。

 最後に、それぞれの方がご自身のコミュニケーションを広げようとされるならば、是非、パソコン通信やインターネットに手を伸ばしてみてください、、、ということをお勧めしたいと思います。


3 テーマの解説

 では、演題の解説を致します。

(1) ウルマンについて

さて、ここに題しましたのは「ウルマンとの出会い」というものであり、ウルマンが何でバーチャルな世界、あるいは電脳空間と関係有るか、これだけではわかりません。
 先程の司会者の方のご紹介で、「どうもインターネットの話らしい」、と気付いている人はおられると思いますが、それでもウルマンとインターネットを結びつけて考えられるというのは大変な飛躍でありまして、それだけ飛躍したお考えを持たれる方なら、近い将来の経済界の指導的なお役に就かれるのは間違いないと思います。
 いやいや、ひょっとすると経団連会長にもなれる方ではないかと、尊敬申し上げます。
 サブタイトルで「コミュニケーションの広がり」と書いているので、ここでようやく賢明な皆さんは「ああ、インターネットか何かの話かな?」とお考えになるかもしれませんが、それが、まあまともであろうと思います。

 「ウルマン」というと、皆さんの中にはいないと思いますが、「ウルトラマンの間違いではないか?」という方もおられるようです。ウルマンはサムエル・ウルマンという詩人ですので、ウルトラマンと間違えられたら話が少々おかしくなってしまいます。どうかお間違いのない様にお願いいたします。

 実は、私はこの詩人と電脳空間、つまりパソコン通信とインターネットの世界でこの詩人を知ることができました。
 それでそのとき以来、この詩のファンになっていますので、この詩の素晴らしさを皆さんにお伝えしようと考えて「ウルマンとの出会い」というタイトルにさせていただいた次第です。

 ここで少しだけサムエル・ウルマンについてご紹介しておきますと、サムエル・ウルマンという詩人は「青春」という詩を書いたアメリカの詩人です。
 1840年に生まれ、1924年(大正13年)に亡くなった人です。
 アメリカのアラバマ州の北、バーミンガムに住み、南北戦争に南軍の兵士として従軍した後、ここで金物屋を開業しました。
 その後銀行の取締役をしたり、ユダヤ教の教会の後援会長などをしました。
 そうした間に詩を作った様で、「80歳の頂きにて」という詩集を作っていますが、この「青春」という詩はその詩集の冒頭にある詩です。

 日本では経営の神様と言われた松下幸之助さんとか、現存する会社経営者の多くの方によって好まれるというか、人生の指針とされている詩であります。
 おそらく皆さんの中にも一度か二度聞いたことのある名前ではないかと思います。
 それだけ日本では有名なんですが、本家のアメリカでは、あのマッカ−サー元帥がこの詩をGHQの執務室の壁に掲げていたことが知られているという程度で、本国アメリカでは未だに有名ではない詩人であります。
 後にご紹介しますが、ウルマンはアメリカの詩人なんですがその素性が分かったのはごく最近のことで、「幻の詩人」という本があるくらい、素性の分からない詩人でありました。

 いずれにせよ、このウルマンの詩は私の様に徐々に高齢になりつつある世代層の人間や、あるいは既に高齢といわれる年齢に達している方に素晴らしく希望を与える詩であります。
 そうしてまた年齢に関係なく、これからの人生を更に希望をもって生きていこうとし、特に21世紀に更に世界に羽ばたく会社経営を行おうとしている人たちに強い希望を与える詩であると考えております。

 このことは、また後で申し上げようと思います。


(2) コミニュケーション

 次に、「コミュニケーションとの広がり」というサブタイトルを掲げていますので、こちらにも少し触れれておきます。
 今年は、7月にWindows98が発売されるということで、これを契機にパソコン販売がまた活発になるか言われたのですが、今のところ爆発的に売れ行きが伸びるということでもないようです。
 しかし、それとインターネットやパソコン通信の効果というものとはまた別で、パソコン通信とかインターネットを駆使することができれば、会社の事業の進展は勿論ですが、そればかりではありません。経営者個人の交際範囲は際限なく広がりをつ づけ、何歳になっても極めて豊かな人生を展開できると申し上げたいと思います。

 会社の事業にパソコンやコンピュータを用いるのは、今ではあらゆる企業において当然のこととされております。それだからこそ、会社の経理の面では従来の帳簿に代えてコンピュータによる記録の保存でも良いという法律もできて、会社の記録保存の負担を減らそうということになっているわけです。

 しかし、私がみるところ、パソコンやもっと大規模なコンピュータを導入している企業においても、、、これらの企業は概ね大企業なのですが、そういう企業においても会社トップが実際にパソコンを使いこなせるかというとそういうところはまずありません。
 私は、自分の仕事にちょっと関連しますが、丁度、半導体関係の業種が好況のときでしたが、運良くこういうコンピュータ関連の大法人の役員の方々ににお会いすることができました。
 ところがこういう方々にその会社の社内メールや社内LANの話をしても、どうもあまり良くご存じのようにはみえないところでした。

 片や、私は、ある高齢者ばかりのパソコン通信フォーラム、これは会員が8000人ほどいるのですが、このスタッフをしていたので、毎日パソコンを扱っていました。
 ですからパソコンやコンピュータの使い道にかけては、パソコンやコンピュータを扱う会社のトップよりは、私の方が詳しいという状況でした。
 こういう現状というのはなんとも勿体ない状況ではないかなと思います。

そこで、これからお話しした後の結論として、是非コミュニケーションを広げるにはパソコン通信やインターネットをお勧めするというお話しに繋げたいと思っています。

 さて、話の導入をするつもりで、やや長く話してしまいました。本題に入ろうと思います。




4 私と電脳空間

(1)私と電脳空間との関わり

 では、まず「私と電脳空間との関わりについて少しお話したいと思います。

 まず、申し上げたいことは、私がいつも電脳空間において何をしているのか、、、そもそも、本来の仕事に関することはともかく、その外のことでここで偉そうなことを言えるのかという、ご不審について、、いや、どなたもそんなこと思っていないとは思いますが、ある意味では自分を納得させるためにお話しておきます。

 私は、実はつい最近まで高齢者を中心とすパソコン通信フォーラムの運営に関わっておりました。
 このパソコン通信フォーラムは現在会員は8700人おりまして、私は1昨年の11月まではSYSOP(シスオペ)、この7月まではSUBSYS(サブシス)をしており ました。
 こういう沢山の人が加入している会、しかも会員は40歳後半から82歳までの人達です。
 中でも60才台の人達がいちばん多くて、毎日パソコンの画面を通じて、「横浜高校の活躍は素晴らしかったね。」とか、「先日、仲間とグアムに行って、こういう美味しい料理を食べてきたよ。」とかの会話を行って楽しんでいる会なのです。

 勿論、私はこの会のなかに積極的に参加して、例えば俳句をめぐる議論とか、あるいは最近の新聞の話題などについて話したりしています。
 こういう私の姿はときどき月刊誌や高齢者向けの雑誌などに登場することもありました。
 あんまり数が多いので一つだけにしておきますが、1昨年の7月には文芸春秋のグラビアにも登場しております。


(2)インターネット

 それから、インターネットです。インターネットというのは、通信回線とコンピュータが「インターネット・プロトコル」と呼ばれる世界共通の設定で接続されることによって出現したテクニカルなメデイアです。

 これがパソコン通信と違うのは、パソコン通信は一つの定められ枠の中でパソコンを結び付けて行うメデイアですから、その「枠」、例えばパソコン通信会社に加入している人だけしかできない通信システムです。
 インターネットは、そうした枠を越えて行うことができるものです。
 インターネットに接続するには、普通はこうしたインターネット・プロトコルに対応した回線を備えたプロバイダに加入することによって世界中のインターネット利用 者と交信できるようになるわけです。

 私は、このインターネット上にホームページをもっておりまして、もっぱら高齢者向けの話題提供を行っております。これもインターネット専門誌その他に取り上げられております。
 ま、そうは言いましても大したことではありません。
 特に最近は結構忙しいものですから、なかなか更新、、、新しく書換えるということですが、これが難しくなっています。
 そこで、仕方ないので、最近は俳句を日替わりで載せているのと、「今日のZAKKAN」と題しまして、600字以内で日記風のコメントを載せているという状況です。

 ここまでいいますと、皆さん興味を示されて、「そういうホームページは是非みたい。」「自分はまだインターネットを覗いたことはないけれども、うちの社員は仕事で覗かせておるから、社員に覗かせよう。」と思われるかもしれません。
 でも、どっこいそうは問屋がおろしません。
 実は、あんまり遊びの方で本名を出すのもどうかと考えてこの電脳世界では本名を名乗っておりません。
 したがいまして皆さん簡単には私のパソコン通信上での随筆やホームページ上での高齢社会に関する意見などを読むことは出来ません。
 もし、どうしても読みたいとお話しなさる方がおられましたら、後刻こっそりと申し上げさせていただきます。

(3)デジタル通信に関心を抱いた理由

 ここまでお話しいたしますと、ではどうして私が自分で大きなパソコン通信フォーラムを主宰することに関わっているのか、あるいはインターネットにホームページを作るまで入れ込んでいるのか、という疑問を持たれるかもしれません。

 その理由は、私自身格別インターネットやパソコン通信に興味を持っていた訳ではなかったのですが、高齢者の方達が現実にパソコン通信を通じて心が温かくなるような交流を広げていることを実際に体験してみて、これこそ自分でこれから関係していくべき世界だと思ったためです。
 もう少し詳しくいますと、今から8年ほど前、忙しい仕事が一段落したとき思ったことがありました。
 帰宅時間などいつも遅い頃でした。いわゆる仕事人間だったのですが、そういうときに、ふと「私もあと10年経ったら退職なんだけど、考えてみると仕事一筋で何も趣味らしきものを持たないなあ、、、自分は退職した後、どんな生活を送ることにな るんだろう。」と考え込んだ時がありました。
 そういうときにたまたま、PHP研究所という松下幸之助さんのお考えを受けた出版社が発行している「ほんとうの時代」という雑誌を本屋でみたときに、高齢者の方が非常に溌剌とした意見交換をしておりました。
 そこで一つの感銘を得たのですが、それから1年もたたない時に、更に、日本経済新聞に高齢者がパソコン通信で生き生きとして交流をしていると言う記事を読み、瞬間的に「自分がやることはこれだ!」という、啓示を受けたにも等しい感慨を味わったのです。

 でも、そのときはパソコンをもっていなかったので、パソコン通信機能を備えたワープロで参加し、徐々にパソコンを持つように変わって来ました。
 余談ですが、今ではわが家には3台のパソコンがあり、内一台は自分がキットと言いまして組み立て用の部品がありますが、それを組み立てて作ったものであります。

 また、その外に携帯用のワープロ、今流行りのザウルスなどをもってネットワーク活動をおこなっているところです。
 そして、これからの方向を考えてみますと、この高齢社会において、自分もその一員となる高齢社会においてはインターネットやパソコン通信を利用するコミニュケーションが必ずや主流になり、しかも、高齢者自身が心の支えにすることができるツールであると思っています。

 日本は21世紀に入って20年くらいすれば、人口の4分の1が65歳以上の高齢者になるという超高齢社会になるわけですが、そのためにいろいろな福祉政策がとられております。
 例えば介護保険法が2000年から施行されるということはその例であります。
 この法律は高齢者の体の面については自治体やボランテイアが中心となって高齢者を支えて行こうとするもので大変意義があるものと思っています。
 ただ、高齢社会における高齢者は、こういう介護保険にお世話になる高齢者ばかりではありません。

 今でも元気な高齢者は全国に無数にいるわけですが、こういう元気な高齢者のメンタルな面、心の面のケアについてはたいして手当てがされているわけではありません。
 こう言うとすかさず「それは講師の先生。元気な高齢者なら何も考えてあげなくていいんじゃないのですか?」というお話があるかもしれません。確かにそういう面もあります。
 旅行したり趣味の会に入ったりするなど活発な高齢者のお姿はよくお見かけします。
 しかし、私が加入しているパソコン通信フォーラムやあるいは私のホームページに書き込んでくれる人の発言を読んだり、あるいはまたチャットと言う、通信したままで話し合いができる方式を使ってお話を伺っていますと、相当な高等教育を受けたと思われる方でも、ご自分は引退し、子供は独立し、そうして奥さんまたは旦那さんとは話すことはない、相手はテレビだけという方も結構おられます。
 テレビもいつもいつも横浜高校とPL高校戦のような感動のドラマが続く訳ではないので、どうしても寂しさが募るという方も多いのです。


(5) 「元気な高齢者」とは

 こういうことを考えますと、元気な高齢者というときの「元気」の中には「心」の部分が欠落しているのでありまして、ここを補うのがデジタル・ネットワークを通じたコミニュケーションの広がりだと思うのです。

 お時間がなくて、ではそのパソコン通信でどういうことをしているのか、寄せられた文章の一つでも読んで是非ご紹介したいところですが、それができなくて残念です。

 たとえば、ここでは、電脳社会で、通常の世界とは全く別の名前を使っています。
 これをハンドルといいます。ペンネームと考えてもらえばいいのですが、面白いハンドルを紹介しますと、変蝠林、あんみつ姫、キタノホマレ。まあ、いろいろです。こういうペンネームを使うことがいいのか悪いのかという議論は別にありますが、我々のフォーラムはエッチな話ばかりする人とか、人を誹謗するような人はいないので、非常に肯定すべきこととして捕らえられています。
 第一、こういう名前を使いますと、はっきり言ってどこの誰か分からないということもありますが、それよりも社会的な地位とかお金持ちであるとかないとか、全くこういうリアルな現実社会の関係とは離れた、平等、対等な話が可能になるという優れた面があります。

 例えば私はこういう画面では身分は明かしていませんし、仕事の話しもしないことしています。
 ですから、たまたま私の仕事に関する話題で、私とは異なる立場から色々な議論を展開する人がいましたが、グッと堪えて議論を見守っていました。
 でも、普段は思っていることの半分も言えない無口な私ではありますが、こういうときはやはり一言言いたくなります。
 特にいつもユニークな議論を展開される方がおりまして、この方の議論の仕方には現実を無視したところがあったので、数度その議論の不合理さを指摘したこともいく どかありました。

 こういう人達、パソコンの上では顔は見えないのですが、でも、ときどきは会って懇親会をやったり、話しも交わします。
 こういう人達から自発的に話が起こってきて、全国大会をやろうということになり、これまで3年間、10月に全国大会を行っております。
 今年は10月10日から二日間、はじめて関西で行うことになり、しかも京都国際会議場で行うというので、このことだけでも非常に盛り上がっております。

 このように今は高齢者の方がパソコン通信やインターネットを通じて自らの交遊関係を広げ、そしてコミニュケーションの対象を広げようとしている時代であります。




5 ウルマン「青春」の詩

 これからお話しするサムエル・ウルマンと彼の詩も、このパソコン通信を通じて知ったものです。

 あるとき、と言っても今年の4月ですが、パソコン通信の画面を読むと、一つの詩が書き込まれていました。それはお配りしてあるこのウルマンの詩なのですが、書いた人は誰の詩か分からないらしく「かつてマッカーサー元帥が自分の部屋に飾ってあった詩で、私は今は忘れたが、誰かから貰った詩である。大変いい詩なので、皆さんに紹介します。」と書いてあります。

 これを読んだ私は実は全く知らないわけではありませんでした。
 どうしてかというと、以前にも一度このパソコン通信フォーラムで紹介があって、関西経済団体連合会の会長をし、東洋紡の社長でもあった宇野 収さんが本を出版されたことを知っていたからです。
 でも、宇野さんと作山さんが翻訳した詩はこの詩とは微妙に違っているので、どなたの訳による詩であるかは分かりませんでした。
 ただ、こういうパソコン通信でもインターネットでも、著作権は当然尊重しなければなりません。

 そこで、私はパソコン通信の運営に携わっているものですから、この詩を全部載せるというのは著作権侵害になりますよ、ということで指摘し、他人の著作権を侵してはいけませんよ、と注意を喚起したのです。
 著作権を侵害するような場合は、折角ですが書かれたものを削除するということをしなければならないほど厳格なものなんです。
 その際、「この詩は前にも紹介があったけれど、サムエル・ウルマンという人の詩ですよ。でも、どうも以前に紹介された詩と比べると翻訳が違いますね」、ということも付け加えておきました。

 そうしましたら、この方からメールがきまして、「実は自分は新聞関係の協会に関係していた。だから、常々著作権については新聞編集者という立場から注意を払っていたのに、自分の楽しみのときにはこれを忘れてしまった、というのは大変申し訳ない。ついてはどうすればいいのか?」というお尋ねでした。

 こういうときは著作権者、この場合はサムエル・ウルマンという詩の作者と、訳詩をした人の事後的な了解を得ればそれでいいので、この方にもその様にお答えしたのですが、お答えしてから「しまった!」と思うところがありました。
 第一、著作権というのは作者の死後50年間効力があるのですが、このそもそもこのウルマンさんが何年に死んだのか分かりません。
 また、訳詩者が誰かもわかりません。
 ですから、私はこの方にもともと無理なことをお答えしてしまったのです。

 果せるかな、この方は、また画面に「実はフォーラムの運営者から、先日掲載した詩に関して著作権侵害の疑いがあるということで注意を受けた。その際に初めてサムエル・ウルマンの詩であるということが分かったが、しかし私は資料は持っていない。どなたか教えて欲しい。」という趣旨を書き込んでいました。

 私も慌てましたが、手元には宇野さんがお書きになった本しかありません。
 それによるとウルマンは1840年生まれで1924年に亡くなった方ですので、英語で書かれた詩の著作権は1974年に失われていますから著作権の問題はありません。
 問題はこれを訳された方の日本文なんです。
 これは大体誰が訳したものか全然分からないと言う状態でした。

 そこで、インターネットの検索エンジンを使ってこの詩の該当ホームページを調べてみましたら、検索の結果、なんと200近い項目が出てきました。
 検索エンジンの検索では同じホームページの異なるペ−ジも一つの項目としてカウントされますので、この200という数が全てホームページの数を表すものではありませんが、それでもかなりの数のホームページで取り上げられているということでした。

 その中の一つのホームページをみますと、どうやら「岡田義夫」と言う方が訳したらしいということは分かりましたが、その「岡田義夫」さんはどこの岡田さんなのかさっぱり分からないという状態です。
 ご当人が生きているか死んでいるか分からないという状態では著作権のことは考えなくてもいいのではないか、、、という気持ちになりかけたところです。

 ところが、このように「どなたか資料がないか?」ということをパソコン通信のホームページで書いているうちに、さすが8000人も会員がいるフォーラムなんですね、その詩の翻訳者なら知っているという人が現れました。
 そして、その人の情報を基にウルマンの詩をアップされた方が調査したところ、今、皆さんにお配りしている詩は、「青春の会」という団体が著作権を管理している、ということが分かりました。
 しかもこの青春の会は、岡田義夫さんという方、この方も亡くなっておられ、その令夫人がこの方のお近くに住んでいるということまで分かったところです。




6 ウルマンの「青春」

 もう、そろそろ持ち時間が無くなってまいりました。

 インターネット、パソコン通信というものは、確かにエッチなアダルト画像の氾濫などで伝統文化を破壊するという批判もあるのですが、先程の話のように著作権に配意するなど、秩序だった正しい使い方をすれば、自分のために、特に私などは高齢社会におけるコミニュケーション・ツールとして、高齢者が積極的に社会参加するツールとして活用できると思います。

 そういうお考えをお伝えして、最後にこの詩をご覧いただきたいと思います。


青春

作:Samuel.Ullman
訳:岡田義夫



青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、燃ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、

安易を振り捨てる冒険心、

こういう様相を青春というのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失うときに精神はしぼむ。

苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望、

こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ

精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く 驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる

事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、

小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。


  人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。

  人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。

  希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。


大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、

そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、

皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、

この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。

青春の会より承認を得て、宮沢次郎著「感動の詩賦・青春」より転載)




この詩はここに掲げてあります様にサムエル・ウルマンの詩でありまして、訳は岡田義夫と言う方です。
 この他にも高田元三郎という方が訳されたものや、リーダーズ・ダイジェストが訳したものもあります。

 このサムエル・ウルマンという人となりにつきましては、東洋紡会長 宇野 収氏、千代田化工 (株) にお勤めの作山宗久氏の共著による『「青春」という名の詩』(産業能率大学出版部)という本によく出ています。

 また、岡田義夫氏の人となりや「青春の会」につきましてはトッパンムーアというトッパンとアメリカのムーア社が合弁で作った会社の元会長であった宮沢次郎と言う方が書いた「青春」(致知出版社)という本に詳しく出ています。
 そして、私のホームページでも簡単な紹介を行っています。
 興味がお有りの方は是非ご覧になって下さい。

 この詩はそんなに内容を説明しなければ分からないというものではありません。主として前に話した宮沢次郎さんの説明に準拠して解説してみましょう。  まず、この詩は第一行で、「青春時代」というとハイテーンから20代というのが常識のようなものですが、この詩はこの常識というものに真っ正面から攻撃を加えたと思います。
 ここがこの詩のいちばんいい所だろうと思います。

 青春とは人生のある期間、つまり「ハイテーンから20代」を言うのではないとします。
 年齢の期間でなければでは何か。
 「心の様相」「心のありかた」だというのです。
「様相」とは何かというと、広辞苑では「有り様。状態。可能的であるか、現実的であるか、必然的であるかの見地からみた事物のありかた。」となっています。
 私は、この場合は「必然的である。絶対にそうだ。」という意味で心の状態を言ったのだと思います。
 そして「だ」という言い方。これも、断定的ですっりした感じです。
そしてその心のありようの内容として4つのものを上げています。  こういう第一行は人生の真理を表現した名言ではないかと思っています。

 そしてこの詩に通ずる漢文的な格調の高さも素晴らしいと思います。

 もっとも私には俄には説明できない言葉も沢山出てまいります。
たとえば、「苦悶、孤疑」、、、、以下の言葉もそうですが、「青春の詩」の各種の本にみられる解説的な部分を拾ってみたことを書いてみますと、

 「苦悶、孤疑」とは、いずれも自分の心のなかに生じて自信を失っていく姿です。
 苦悶は「取り越し苦労かもしれないことであるが思い悩むことであり、孤疑とは、疑いためらって決心の付かないこと(孤疑逡巡)です。

 また、欽抑(きんぎょう)とは、尊び敬うことであり、星辰(せいしん)とは、星のひらめきのことです。

 「偉力の霊感」という言葉もありますが、これは人間と自然と神の関係について語ったもので、「人間は大地と神と人から霊感(メッセージ)を受け取ることによって生きている。そういう霊感を受け取る能力がなくなれば、もう神の憐れみ、、つまり死をまつしかない。」ということに繋がっていきます。
 ウルマンはバーミンガムのユダヤ教の寺院の後援会長をしていましたから、これはユダヤ的な思考なんでしょうか?

 「悲嘆の白雪」という言葉も難しいですが、心が素直でなくなって何でも皮肉にしかとれないような状態を言うのだろうと思います。

 でも鑑賞はそこまでにし、この後は皆さん方ご自身の鑑賞にお任せしたいと思います。




7 コミュニケーションの広がり

 さて、色々とお話しして参りました。
 最後に、コミュニケーションの広がりという事に関してすこしだけ話させていただきます。

 この会場におられる皆さんがコミュニケーションをいっそう広げるには、こういうインターネットなどのディジタル通信は極めて有効なものだと思います。
 事業をやり会社を実際に経営している皆様が、ハードという意味の機械(マシーン)をもっているのですから、後はこのコミュニケーションを広げようとする意思(will.desire)をお持ちになって、そうして機会(opportunity)を作りさえすれば良いのだと思います。

 そういうと、「いやあ、、我々事業者は講師先生と違ってそんな時間がありませんよ。」とお話しかもしれません。
 確かにそうかもしれません。
 でも、私は、勤め先での仕事を通常人以上にやって、そうして帰宅したあとから、パソコンに向かっています。

 私どもの場合は、皆さんとは逆で、、今でもそんなに職場にパソコンなどコンピュータの端末が揃っているわけではありません。
 ですから私の場合は今でも帰宅して、風呂でその日の疲れと、、、それから或るときには酔いを覚ましてからパソコンに向かいます。

 そうしてその日のメールを読んで返事を出し、後からお話ししますが高齢者フォーラムの会議室を読んで、自分が発言したい意見があればそれを書き、その次はインターネットの自分で開いているホームページにアクセスし、毎日一本の俳句とその日の日記に類した様な感想を書いたり、私のホームページに書き込みしている方に返事の意見を書いたりする、そういうことを行っているのです。
 毎日こういうくりかえしですから、就寝は早くて1時頃という生活です。

 私は自分でそういう生活をしていますし、そうしてこれによって全国に友人が、、しかも私よりもかなり年上の人が多いのですが、そういう友人が沢山います。
 しかも毎日何人かずつの友人が増えていっているという生活です。

 私は、あと2年か3年で今の仕事の世界は退職しなければなりませんが、退職したあと、今度は夜ではなく、昼にゆっくりとこういう高齢者のお友達と付き合っていけるかと思うと、早くその日が来ないかなア、と待ちわびる日々でもあります。




8 終わりに  私は、丁度2000年には現役を引退し、21世紀の仕事は後に続く後輩の方々にお任せするのですが、しかし、私自身はこのインターネットとパソコン通信というツールを手にし、また、「青春」という心を鼓舞する詩を得、これからがほんとうの人 生に向かって進みだすことになるのだと思っています。

 また私自身のことはともかく、このウルマンの詩を読んだ人達は、パソコン通信でもインターネットでも、「この詩を読んで勇気が出た」とか、立ち直ったと言う方が沢山います。
 私のホームページは高齢社会を考えるための私的なホームページですが、こういう反響を考慮して一番にこの「青春」という詩を掲げています。

 これから一層の高齢社会に向かう日本にとって、高齢者の方のこの様な意識の変革をもたらす可能性の高い詩は意義が有るものと思っています。
 特に、人は年齢に関係なく、理想を持ち、情熱を燃やして自分の生き方を追求していけば、その人は老人ではなく、青年だと思います。

 そういう意味でもこの詩に共感し、実践する高齢者が増えたら、日本の高齢社会は、実は青年社会になるのではないかと思っています。

 自分の仕事以外の経験をもとに大変拙い話を致しましたが、お耳障りのこともあったか思います。
 その点は平にご容赦をお願いいたしまして、これで私の話を終わりたいと思います。
 ご静聴ありがとうございました。