
[講演記録2]
「インターネットから得たもの」
(注)この一文は、私が上の題で行った講演資料に加筆補正を行ったものです。
なお、講演テーマと直接関連のない部分は適宜省略しています。
目次
1 はじめに
2 インターネット
3 ネットワーク
4 インターネットの仕組み
5 インターネットに入り込んだわけ
(1)セミナーで話したこと
(2)インターネットに入り込んだわけ
6 私のホームページの内容
(1)フロントページを見る方法
(2)概要
(3)幸齢交歓室
7 インターネットから得たもの
(1)コミニュケーションの確保と拡大の可能性
(2)顕微鏡型人間から広角レンズ型人間への変化
(3)高齢者の社会参加支援を生き甲斐とすることができたこと
(4)情報発信人間としての確信
8 結び
1 はじめに
それでは「インターネットから得たもの」という題でお話させていただきます。
私とインターネットの関係につきましては、昨年、夏のセミナーで「ウルマンとの出会い」と題しました講演のなかで若干話させていただきました。
そこでは、私がインターネットやパソコン通信に積極的に関係するようになった経緯も話させていただきました。
皆さんの中には当時会員としてお聞きになられた方もいると思います。
そこで、今日はできるだけセミナーでの話とは重複をしないようにお話させていただきます。
考えてみれば、私という人間がこの研修会においてインターネットについて話すというのも奇怪しなものだという気がしないでもありません。インターネットの様にコンピュータという機器を操作するなど、どちらかというと文科系の私には考えられないことだったからです。
しかし、私は既に高齢者のパソコン通信や高齢者のインターネット交流に関しては一応ご存知のような実績がありますので、十分にその資格があるものと思っております。
ただ何分、高齢者のパソコン通信や高齢者のインターネット交流においては本名では出ておりません。メールやホームページにおいても仕事に関する話題は一切しておりません。この点だけが自分でも内心忸怩たるものがないではありません。しかし、当分は(現役を退くまでは)仕事と趣味とは切り離そうと決意していますので、この点はご了解をいただきたいと思います。
無論、これはいつもお会いしてお顔も存じ上げている皆さん方を対象にしたお話ではありません。本日お見えの方で、おんみずからインターネットに興味を持たれ、日常的にアクセスされておられる方がいらっしゃるなら、その方に私のURLとペンネームの入ったお名刺を差し上げることにやぶさかではありません。
2 インターネット
まず、インターネットという言葉ですが、我々が「インターネット」という言葉を聞いてすぐに思い浮かべるのはホームページです。しかし、ホームページはインターネットの一部ですが、ホームページがインターネットの全てではありません。
ホームページは、言うなれば特殊な目的なり用途なりが特定されているサーバーというコンピュータ内に集積されたファイルの指示によって、モニター画面内に表示される電子画面(エレトリック・グラフイックやテキスト(通常の文字)に因って構成されている。)のことであります。
このサーバーにアクセスすることによって、別のサーバーに繋がっているコンピュータ、特にパソコン(パーソナル・コンピュータ、、、人と人とが対面しているかのように、対話式に操作できるコンピュータのこと)からもこの電子画面を見ることができます。
しかし、電子画面をみることができても、それは物理的に可能なことを実際に表現しているだけです。ですから、この段階ではまだインターネット、、つまりネットとネットを越えて見ることができるもの、という認識とはちょっと一致しません。
こういうとちょっとお分かりにならないかもしれませんが、私は全部で4台のパソコンを持っていますが、仮にこの4台をケーブルか光ファイバーで繋いで、1号機には私の写真をおき、2号機には私の家の写真をおきます。そして3号機にはこの会場の写真をおき、4号機からこれらの画像をみたとしても、それはインターネット画像だとは言わないということです。
この私の4台のコンピュータを繋いだ状態・あるいは繋がれたコンピュータ群は何というかというと「ネットワーク」ということになります。
したがって、4号機から1号機をみるのはインターネットではなく、まあ、あえて言えばインナーネットであり、一般にはLANと呼ばれるものであります。
それから、これはちょっと余談ですが、ホームページというのは、かつてはこの電子画面が何頁もあったとしますと、そのなかの第1頁を言ったのですが、ホームページが多くなるにつれて誤解が広まり、1ページから最期のページまでをひっくるめてホームページと言うようになりました。
ここから混乱が生まれまして、その反省として今ではホームページという言い方よりは、電子画面の総体をWebと言うようになり、Webの最初の画面はフロントページと言う様になっています。
ただ、今日は皆さんに急遽考え方を今風に変えてくれといっても無理ですから、相変わらずの「ホームページ」という表現でお話を続けることに致します。
それで話しを戻しますが、結局ホームページは他のコンピュータからのアクセスを予期しているネットの中にありますからインターネットの一部です。しかしそうではあってもインターネットの全てではありません。
ここのところは誤解を持たれやすい部分ですから、分かりやすくするためにもっとストレートにお話いたしますと、「インターネットとはこの地球上にある様々なネットワークが世界的な規模で繋がったもの」ということになります。

3 ネットワーク
ネットワークというのは、一つまたは複数の共同の目的意識を持った人々や組織がコンピュータを通じて情報を交換し合う情報網です。
最近ではコンピュータに限らず電話や手紙を通じて情報を交換し合う場であっても「ネットワーク」という言葉を使うようになってきています。それも情報交換という側面を強調したということではそういう言い方も可能かもしれません。
例えば、神奈川県や東京都など大都会において一つの政治勢力になりかけている「○○○○○ネットワーク」、神奈川ですと「神奈川ネットワーク」などはその例と言えるでしょう。しかし、ここではこれまでもネットワークの概念に含めてしまいます
と混乱しますから、これは除いて、「コンピュータ利用」するものに限ることに致します。
では、どういうネットワークがあるかというと難しいことはありません。
まず、政府のネットワークがあります。
学校のネットワークがあります。
会社・企業のネットワークがあります。
パソコン通信というものがありますが、これもネットワークです。
大学や研究機関のネットワークがあります。
各種団体のネットワークがあります。
この他にプロバイダという電気通信事業に係わる業者とそれに加入する個人、法人のネットワークがあります。
ゴア副大統領の提唱した「情報スーパーハイウェイ」というのはこれを国内的に有機的に結び付けようとしたものと言われております。
これらのものがネットワークである所以というのは、それぞれのネットワークにおいてメールシステムがあって指示、連絡その他のコミニュケーションが行われたり(メールサーバー)、ファイル転送システムがあってデータを相互に融通して使うことができたり(FTPサーバー)、掲示板のようなもの(WEBサーバー)があってネットワーク内に共通的なアナウンスがされたり、というシステム的な構築がされているからです。
4 インターネットの仕組み
そしてインターネットというのは、これらのネットワークをプロトコルという共通的な通信規約によって相互に結びついた、言わばネットワークのネットワークということになります。
このプロトコルを用いるということは、それぞれのネットワーク内にメールサー
バー(SMTP/POP3)、WEBサーバー、FTPサーバーなどが用意されているということで、これを介して自分の属しているネットワークから他のネットワークにアクセスできるということになるわけです。
この会場におられる会員の方の会社でも、各所に支社、支店をもち、コンピュー
タで日常連絡をしておられるところも多いと思いますが、それらは既にネットワークを形成しているわけです。
ところが「ウチでは特別にインターネット用のサーバーなんか用意していないよ。」という会社もあるかもしれません。でも、そういうところは独自の回線は持たなくとも、加入しておられるNTTや他の電話会社の回線を使ったり、パソコン通信会社の回線を使ったり、あるいはプロバイダに加入しているでしょうからそこから先は
プロバイダの回線を使ったりしているのだろうと思いますのでお確かめいただいきたいと思います。
以上がインターネットの構造ですが、私がインターネットにおいて利用しているのはメールシステム、WWWといわれるいわゆるホームページ、そして、ホームページを見えるようにするためにはサーバーにファイルを送らなければならないのですが、このためのシステムであるファイル転送システム、FTP以上の3つであります。
この内、FTPというのは自分で使いたいファイルを取り込んだり、あるいはファイルを送りたい所に送るシステムですから、あまりお話しても面白みがありません。
そこで、この「自分で使いたいファイルを取り込んだり」ということとか、「ファイルを送りたい所に送る。」ということは何を意味するのかというとだけ、簡単に説明しておきます。
パソコンあるいはコンピュータというのは、全て「ファイル」というものがあります。
これは簡単に言えば「情報を集積したもの」です。コンピュータはこのファイルに書き込まれた情報に指示されて、その指示どおりに動くのですが、これをあんまり難しく考える必要はありません。
例えば、「アダルト画像を見たい。」という衝動に駆られるとします。ところがファイル転送という面から考えると「自分で使いたいファイルを取り込む」ということは翻訳すると「アダルト画像というファイルを自分のコンピュータの中に持ってきたい。」ということなのです。
つまり、この「アダルト画像」がファイルそのものなのです。
そこでどうするかといいますと、このアダルト画像が沢山置いてあるサーバーとい
うものがあるわけです。
そこにアクセスして目的の画像をチェックしますと、その画像が一定の速度で自分のパソコンに送られてくる。そして送られて来た画像、これは大抵圧縮されているのですが、これを解凍するためのソフトを使って解凍すると、目的の画像が表示されるということになります。
では、「ファイルを送る」ということはどういうことかというと、ファイルというのは自分のパソコンに置いてあってもそれだけでは必ずしも読まれるものではありません。
そこで読んで欲しい情報はサーバーに送らなければなりません。
これを私の場合でいいますと、私はインターネット上にホームページを持っているのですが、このホームページはインフォウェブという富士通系列のプロバイダ会社のサーバーにあります。そこで、私が作ったファイル、、、これをホームページと総称しますが、INFOWEBのサーバーの中に作ってあるディレクトリの中に送ります。
ディレクトリがお分かりにならないとすれば、Infoweb という会社を銀行に見立てて下さい。
そしてその中に私の総合口座があると考えてください。
その口座を思い浮かべていただきまして、この口座がディレクトリであると理解していただけばよいかと思います。
私はホームページを新しく更新するときに、その口座のなかにファイルを納めるわけです。
そしてこの口座番号は私だけが知ってるのではなくて、広く分かるようになっていますし、また名刺に印刷するなどにより広く知らせるようにもしております。
これをURLと言います。
これによりその口座番号即ちURLを知っている人が私のホームページを見られるようになるということです。
メールというのは、皆さんあんまり理解には困らないと思いますし、時間の都合もありますので、これはまあ割愛させて戴きます。

5 インターネットに入り込んだわけ
(1) セミナーで話したこと
では、今日のタイトルが「インターネットから得たもの」と言うことですから、私がどうしてインターネットに入り込むようになったかをお話する必要があろうかと思います。
まず、その点を少しだけお話いたします。
昨年夏のセミナーの際には、実は私がパソコン通信に入り込んだきっかけについて
お話いたしました。それと若干はダブりますが、大事な部分ですので簡単に話させていただきます。
今から8年ほど前ですが、私は大変多忙な仕事に携わっておりました。
私、今から振り返ってみますと結構大きな仕事で、ある意味では幸運だったと思っておりますが、当時は無我夢中でしたから評論家的な感慨など生まれ様筈も無いくらいでした。
しかし、そうした仕事もある月の初めをもって一段落したときがありました。
連日遅い帰宅で、いや、午前4時に帰って、また午前10時までには出勤するということもかなりあったハードな時だったのですが、これが過ぎて仕事は自分の手を離れ、後は事実上残務整理という、言わば虚脱した状態だったと思います。
いってみればかなりのワークホーリッカー・仕事人間だったのですが、そういう虚脱のときに、ふと「私もあと10年経ったら退職なんだけど、考えてみると仕事一筋で何も趣味らしきものを持たないなあ、、、自分は退職した後、どんな生活
を送ることになるんだろう。」と考え込んだ時がありました。
そのときにたまたま、PHP研究所という松下幸之助さんのお考えを受けた出版社が発行している「ほんとうの時代」という雑誌を本屋でみたときに、高齢者の方が非常に溌剌とした意見交換をしているのを拝見したのです。
そこで一つの感銘を得、熱心にそういう雑誌を読むようになったのですが、それから1年もたたない時に、更に、日本経済新聞に高齢者がパソコン通信で生き生きとして交流をしていると言う記事を読み、瞬間的に「自分がやることはこれだ!」という、啓示を受けたにも等しい感慨を味わったのです。
しかし、まあ、私がそんなに感じても、この話を聞いている皆さんに訴えるにはいささか不十分であろうと思います。
そこで、私が「自分がやることはこれだ!」と考えた背景について少しばかり敷衍させていただきます。
私は今ではこの様に「講演」と言う形で皆さんにお話できますが、しかし、35年前にはこういうことは想像もできないような、上役に反抗的で、しかも定見もないに等しい劣等生だったのです。
ところが、秋田県の田舎のその職場に、当時の私と本当に良く似た顔の課長が上司として着任いたしました。私がその課長が机に向かっている光景を見ます、自分がそこに座っているのではないかと思うくらい良く似た顔でした。
そしてこの課長は顔に似ずに厳しくて、私はその課長から厳しく扱かれ、仕事についての基本というより哲学をたたき込まれました。
今から考えれば私は彼のおかげでそれ以来人間が変わり、真面目人間となって勉強にも精を出すようになったのです。
以来、私は自分の生き方として、ともかく自分の分を弁えること、社会人としては奉仕に徹する仕事をしようと決めたところでした。
したがって、迫り来る現役引退後の人生においても、「奉仕に徹する仕事」をすることは漠然と決めていたのですが、しかし、実は具体的には何をなすべきかいつもモヤモヤとして定まっていなかったのです。
ところが、この日本が高齢社会に向かっているという現実に加え、PHP研究所の「ほんとうの時代」という雑誌を読んで元気な高齢者に感銘を得、更に、日本経済新聞に高齢者がパソコン通信で生き生きとして交流をしていると言う記事を読んだときに、その答えが分かったのでした。
(2) インターネットに入り込んだわけ
以上はセミナーで申したこととその補足ですが、インターネットに入り込むように
なったのは、実はこの高齢者パソコン通信をインターネットファンの中にも普及させようという意図があって、意識的にインターネットを始めたわけです。
当時は、、、今から4年前、平成7年初めにはまだインターネットはそんなに勢いを得ていたわけではありませんでした。しかし、その夏頃、私は丁度仕事が今までの仕事とガラリと変わった時期でしたが、その頃からインターネットブームが始まった時期でした。
私はまだ、パソコン通信に主力をおいていたのですが、この状況をみて、私の属しているパソコン通信も、そろそろインターネットに目を向けないと落ち目になるぞ、、、言ってみればそういう危機感を抱いたのです。
そこで、この高齢者パソコン通信宣伝のため、我がフォーラムでもホームページを開設しようとして仲間内で話をしかけたのですが、残念ながらこの「仲間」は、皆さんと違ってサラリーマンとしての一線を退いた方が中心ですから、中々新しいものに向かうという余裕はのある方はおられません。
いや、パソコン通信自体は当時でも新しいコミニュケーションツールであったわけですが、更にこれを越えてインターネットに挑戦しようと言う方は流石に少なかったのです。
そこで、結局私は、「私が自分でやろう。」と決意し、インターネットの勉強を初めた訳です。しかし一息に高齢パソコン通信フォーラムのホームページを開設して失敗するような事があったらフォーラムに迷惑を掛けます。
そうならないように、まず自分のホームページを作ることとしました。平成8年3月のことでした。
ですから私のホームページは、皆さんの中でもご覧になられた方が何人かおられるようですが、「幸齢ホームページ」というタイトルを掲げています。
こうして、手さぐりでホームページを作った後、色々覚えたことを基として、引き続いて平成9年5月に、その高齢者パソコン通信フォーラムのホームページ作った、という次第です。
今では、この後者は別のスタッフの方に引き継がれ、段々改良されて素晴らしいホームページになっています。
6 私のホームページの内容
さて、では私のホームページがどういう内容かをお話しなくてはいけないかの様な気も致しますが、でも、考えてみると今日のテーマからは離れてしまいます。
今日ここでお話したいのは、会員である皆さんにとってもインターネットは、就中、その中のホームページは有益であるということです。
そのために、私がインターネットから得たものは何であるかをお話しようと思っているわけです。
そこで、私のホームページの内容についてはごく簡単に紹介しておきます。
(1) フロントページを見る方法
まず、私のホームページを発見する方法ですが、極めて簡単です。URLという長ったらしいお呪いを入力すればもっと簡単です。
http://www.ne.jp/asahi/kohrei/dc/index.htm
です。
でも、そうしなくとも構いません。インターネットの世界にはヤフーとかグーとかいう検索エンジンというソフトウェアがあります。
このソフトウェアに検索語という項目がありますから、ここに「幸齢」という字を入れれば結構です。
この「幸齢」という言葉を使ったホームページはまだ幾らもありませんから、最初に私のホームページが出てまいります。
そして、これをクリックすれば私のホームページに直ちに移動いたします。
(2) 概要
移動するとすぐに、妙なるメロデーが流れてきます。これはインターネットの他の作曲ホームページからいただいたもので「夢で見た青空」や「旅路」という非常に私の好きな曲です。
ここには、私が1週間に1回くらいの割合で書き換えている俳句がまず出てまいります。
そして、このホームページの概要の説明と、目次(コンテンツ)が示されています。
そしてフロントページの最期には「今日のZAKKAN」という600字程度のコラムをおいて、これも世相についてのコメントを書くようにしております。
このホームページのテーマは、全体的に高齢社会における生き方、特に元気な高齢者の生き方をテーマにしております。
ですからこのページの冒頭にはサムエル・ウルマンの「青春」の詩に繋がるように引用の見出しを置いています。
この他では、私の属している高齢者パソコン通信フォーラムの案内と、私が今までこのフォーラムの中で発表した創作や随筆、評論などをまとめて掲載しています。
全体のページはかなりのものですから、私が読んでも一日では読めない分量になっています。
もっとも、これだけでは面白くも可笑しくもなんともない、、、という面がないとは言えません。
そこで、遊びの要素もかなり加味しております。
例えば、「面白写真」というものがあります。
これはデジタルカメラの撮影画面をパソコンに取り込んだものですが、例えばモスラという怪獣映画に出てくるキャラクターに似た画像や、みなとみらいにある大きな建造物の一角を強調したアングルなど、私が言うのはなんですが、文字通り面白い写真もかなりありまして、これなどは興味を引くのではないかな、と思うところがあります。
但し、お断りしておきますがアダルト写真は一枚もありません。
(3) 幸齢交歓室
最期に、「幸齢交歓室」というページがあります。
これは私のホームページをご覧になった方が、自由に感想を書いたり、何か問題提起をしたりすることができるようにしたページです。
専門用語では「フォーム」とか「ウェブ・トーク」とかいうもので、これは商用ホームページによってはパスワードがなければ入れないようなものもありますが、私の場合は公開にしております。
この幸齢交歓室には色々なご意見が書き込まれており、私もこれにお答えするようにしております。
これによって私は単に独りよがりのホームページを開設しているのではなく、勤務を離れた場でのれっきとした社会参加の窓口としてこのホームページを開設しているのだということがお分かりいただけるのではないかと考えております。

7 インターネットから得たもの
さて、インターネットから何を得たのか、ということについて述べさせていただきます。
一口に何を得たのかと言っても大変難しいことがあります。特に先程述べたように、私はインターネットに引きずり込まれたのではなく、逆にインターネットを利用して自分が運営していた高齢者パソコン通信を宣伝しようとしたのですから、言うなれば情報発信する側でした。
従って「得る。」という言い方は全体像を表現していないことなので、ここでは「インターネットに関係していて得たものは何か?」という意味で申し上げようと思います。
従って単純にインターネットに限らず、高齢者パソコン通信フォーラムにおける活動も含まれます。
こうしたインターネットとの関わりのなかで私が得たものは、
(1) コミニュケーションの確保と拡大の可能性
(2) 顕微鏡型人間から広角レンズ型人間への変化
(3) 高齢者の社会参加支援を生き甲斐とすることができたこと
(4) 情報発信人間としての確信
ということに整理できると思います。
以下、時間に不足するかどうかも睨み、順序が違うかもしれませんがこの4点についてお話してまいります。
(1) コミニュケーションの確保と拡大の可能性
まず、誰にでもご理解いただけることとして、私が関わってきたことは全てコミニュケーションの広がりに関することであるということです。
パソコン通信フォーラム、幸齢交歓室、メーリングリストのいずれもこれに該当致します。
)
実は、私という人間はいつも狭い世界にしかいない人間でした。
しかし、高齢者パソコン通信や高齢者をテーマとするホームページの開設、その中での幸齢交歓室での語らい、そうして高齢者中心のメーリングリストという形で、私は限りなくコミニュケーションの範囲を広げております。
パソコン通信では登録人員7000人から1万人の人の世話役としてフォーラムの発展に努力しましたし、幸齢交歓室でも、高齢者問題についての意見交換を多くしております。
ここでは本当にパソコン通信を知らない方ともかなりお付き合いしていただく様になっています。
そして、これらのコミニュケーションはこれから益々広がりを見せてゆくことが明らかになってきています。
人間社会と言うのはコミニュケーションの世界です。
それがこれからも広がりを見せてゆくことが自分でも分かるということは、これは素晴らしい財産であると思っています。
(2) 顕微鏡型人間から広角レンズ型人間
第一に上げるべきことは、人間の変化でしょう。
自分自身が仕事一辺倒・仕事の世界以外は知らないという人間から交際範囲の広い、何にでも興味を示す人間に変わったということかと思います。
言うなれば顕微鏡型人間から広角レンズ型人間に変わったということかと思います。
私は前に自分がどの様な仕事をしていたのかお話したわけですが、お陰で仕事には精通し、このに掛けてはかなりの自信を持っているところです。
実際に、仕事に関する実務書、解説書の執筆にも関係していましたし、一応自著もあります。
しかし、それ以外のことになると、からきし話題も何もない人間でした。
「法人」という言葉があります。これは法律を習いたての人間を皮肉る言葉でして、あんまり理屈ばかり言っていると「あいつは自然人ではない、法人だ。」と言われる訳です。
ところが、パソコン通信やインターネットに関係するようになってから色々と見聞が広まりました。特に、絵画鑑賞、俳句への傾倒が特徴だろうと思います。
絵画鑑賞については、パソコン通信に参加している青嵐さんとストックさんというお二人の方の会話を脇で拝聴していて(読んでいて)目を開かされました。
印象派の画家やキュービズムの画家がどうという会話を聞いていたのですが、そこで得たものは「画集ではなく実物をみないと絵の本当の値打ちは分からない。」ということでした。
これを実感することがありました。
あるときブリジストン美術館に行ったことがあります。
そこには藤島武二という画家の「天平の面影」という絵がありました。
天平時代の琵琶のような楽器を演奏する若い女性が、演奏の合間に柵に凭れるようにして休憩している絵です。
この絵は画集でみて、いい絵だなあ、、と思っていたのですが、この「画集ではな
く実物をみないと絵の本当の値打ちは分からない。」という言葉に引っ掛かって出掛けました。しかし、初めは「画集と同じである。」という感覚でおりました。
ところが近くによったり、方向を変えたりしている内に、「何か違うぞ!」という気持ちになってきました。
そこで、また少し近づいてみると、この描かれた女性の向かって左側は、金色の背景色があるのですが、この背景色が必ずしも一様ではないのです。
よくみると、薄く太陽の光が描かれているのです。
私にはこれは大発見で、早速記憶に留め、後で発行されている画集を確かめたところ、この太陽はあるかないかも全く分からなくなっているということに気づきました。
このことに気づいてから、美術館に行く際には、、、そもそも美術館に行くようになったのが大きな変化なのですが、、、絵は丹念に見るようになり、作者である画家が何を訴えようとしているのかが一応考えられるようになってきています。
もう一点、俳句について申し上げます。
私はそんなに文学少年では無かったのですが、パソコン通信の中で俳句をやる人がおりまして、その人が主唱してオンラインで俳句をやろうということになりました。
私も最初は付き合いでやっていたのですが、段々と興味を魅かれて勉強をするようにもなり、やがて勤務先で作っている俳句サークルにも参加するようになりました。
このサークルには、角川俳句新人賞を得た人も入っているのですが、あるとき、稲畑汀子さんという高浜虚子の孫で伝統俳句協会会長をされている方がこられる句会があるということでこれに誘われました。
句会というのは一人が5句ほど提出し、作者がだれであるかゴチャマゼにしたあとで参加者が選句ということで選ぶのですが、私の句はあんまり評判が良くなかった様で1句も選ばれませんでした。
句会というのは公平である。いくら主宰だと威張ってみたところで誰も入れないことがある。況んや私においてや、、という気持ちになりかけました。
しかし、最期に稲畑汀子さんが自分で選んだという句13句を発表した中に、私の句は2句も入っており、しかも、そのうちの1句は特選3句の中の1句となっていました。
これ以来、私はまた俳句についての士気を鼓舞され、これまた懸命に励むようになってきています。
俳句については、もう一つ奥の深さを感じたことがあります。
皆さんは「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」という正岡子規の句をご存じだと思います。
私はこの句は、子規が法隆寺の近くで秋の太陽の光を浴びながら柿を食べているときに、法隆寺の鐘がゴーンとなったときの句だと思っていました。
ところが、俳句を勉強するようになってから分かったことは、この句は、子規が病床をぬけて上京するときに、たまたま奈良に立ち寄り、東大寺近くの旅館に泊まって夕食を済ませたときの句だということです。
その旅館には若い女中さんがいて、夕食の後に富有柿を持ってきたのだそうですが、その柿を食べているときに東大寺の初夜がなったのだそうです。
「初夜」とはその日最初の鐘だそうで、子規は若いお手伝いさんが「初夜」だという言葉を使ったので、非常に興味を覚えてこの句を作ったということで、子規は実際には翌日法隆寺に出掛けているのですが、しかしこの句は東大寺の句ということになっています。
こういうこともインターネットをやっているから分かるようになったものです。
これ以外にも、時に応じたオフラインの開催、それも最近は全国的規模で行われるようになってきましたので、交際範囲は広がる一方というところです。
(3) 高齢者の社会参加支援を生き甲斐とすることができた。
先にも少し書きましたが、私は第二の人生においては何か奉仕的な仕事をして社会の役に立ちたいと思っていました。
その、第二の人生が始める準備をする時期に差しかかってきましたが、これまでは非常に漠然としたことしか考えていませんでした。
しかし、インターネットをやって、その方向性が極めて明確になってきました。
世の中はつい最近まで「高齢者」というと「社会的弱者」という言葉が返ってくることが多く有りました。
しかし、この少子・高齢社会では最早そういうことばありではありません。
今は、元気な高齢者が随分多いのです。
高齢者というと一般的な定義では65歳以上ですが、そもそも皆さんの中にも高齢者の方がおられますが、これは全て元気な高齢者です。
私はこういう高齢者がインターネットなどで活躍するのは立派な社会参加活動であると思っています。
そしてこの社会参加活動を組織的に保障するために、今、こうした人達に呼びかけて公益法人、、、と言いたいのですが、公益法人はお金も掛かるし、ご当局の監督も厳しいものがあります。
そこで、こうした監督・干渉の少ない「特定非営利活動促進法」に基づく認可法人を目指して行きたいと思っております。今年は国際高齢者年に当たります。こういう節目の年こそ是非進めたいものです。
(4) 情報発信人間としての確信
私は今のところ勤め人でありますからいずれ退職することになります。
これは皆さんでも同じことで、いずは引退されることがあると考えてもいいんだろうと思います。
無論、皆さんの中には経営者の方もいらっしゃるでしょうから引退されることがないかもしれません。
しかし、どういうケースであってもあと2年で21世紀がスタートします。
ですから生きているかぎり情報社会が更に高度化される21世紀に生活することになるわけです。
私が、インターネットに関わって最も自信をもっているのが、この高度情報化社会となる21世紀に、そしてまた超高齢社会と言われる時代に中核世代として確かに生きていけるという確信を抱いたことです。
皆さんは如何でしょうか?
私も人間ですから健康を害することはあります。
その点だけは留保条件をつけますが、しかし、それ以外のことなら情報発信人間としてやっていける、そのように考え、これが最も得難いものでなかったかな、、、と思っております。
8 結び
以上、私がインターネットから得たものを一通り申しました。
これについては皆さんはご批判や疑問が多くあるだろうと思います。
例えば、「講師はカッコよいことばかり言っているが、現実のインターネットで行なわれているのは何だ。青酸カリの販売や伝言ダイヤルの不正利用ではないか。」とか、「インターネットにおけるアダルト・画像の氾濫は、これからの少子・高齢社会を担う子供達にどういう影響を与えると思っているのか(?)」等々のことがあろうかと思います。
こういう、ご批判、疑問は至極当たり前のことであり、私も同感です。
しかし、長く趣味としての通信生活をしてきて思うのは、電脳社会もまた社会の縮図であり、現実社会で起こることは犯罪といえどもまた電脳社会でも避けられない、ということです。
そして、どこの社会であろうとも社会の構成員がこぞって眉をひそめるようなことはこれまたどこの社会でも許されないということです。
けれども、そういうことがあるからといって進歩の歩みを止めるわけには行きません。
現実の姿を目の当たりにしたならばこそ、改善・改良の方策を施し、続けて行かなければならないと思います。
大事なことは物事には良いこと悪いことの二つの側面がありますから、物事の両面の良いほうに大きなスポットを当てるか、悪いほうに大きなスポットを当てるか、どちらなのだ、ということだと思います。
私は今後とも良いほうにより大きなスポットを当て続けて行きたいと思います。
御静聴ありがとうございました。



