[講演記録]

「幸齢の楽しみ方」

(注)この一文は、私が上の題で行った講演資料に加筆補正を行ったものです。
 なお、講演の最初の部分は自己紹介であるため削除してあります。


1 少子・高齢社会は我々の問題

 自己紹介はこの位にして、そろそろ本題に入らせていただきます。
 日本は現在高齢社会を迎えています。
 この「高齢社会」という言葉は国連、国際連合が定義した言葉でありまして、その国の人口の中に65歳以上の高齢者がどの位の割合を占めるかということで用語が決まるようになっております。
 まずこの割合が7%の場合は「高齢化社会」といい、14%を越えますと高齢社会ということになります。
 日本は昭和45年に高齢化社会に入り、これが平成7年には高齢社会に入りました。
 つまり「高齢化」の「化」の字がなくなりました。
 「化」などという本来のものではないモノを本来のモノであるかのように装う表現をしなくとも良くなったわけで、立派に、、、というと語弊がありますが、れっきとした「高齢社会」になったとい うことであります。
 ところが、この人口比は、2020年(平成32年)には4分の1の人が65歳以上の社会になろうとしています。
 こうなりますと、もはや国連で作った基準をはるかに越えるわけで、これは「超高齢社会」といわざるを得なくなってまいります。
 現在の年齢で言えば43歳以上の人が2020年には4分の1の人が65歳になります から、これらの人がこれに該当することになるわけです。
 ということは、おそらくこの会場にいる人達の殆どではないでしょうか。
 したがって、私を含めましてこういう世代はこれからの時代をどう生きていくべきかを考えて行く必要が当然有るわけです。
 ただ、「これからの時代をどう生きていくべきか」という、言うなれば人生観を左右す るような課題を私如きがここで論ずることはできません。

 厚生省人口問題研究所の発表でも平均余命がある意味では順調に伸びているわけですが、こうしたときにこの、現在43歳以上、20年後には65歳以上になろうというこの会 場におられる殆どの皆さんが、どうやって人生を楽しめばいいのか、ということについて、私の拙い経験に基づいてご提言したいと思うものであります。
 そういうことから今日は「幸齢の楽しみ方」というタイトルにさせていただきました。

 そして具体的には、パソコン通信あるいはインターネットを使っての社会参加ということ をお話ししたいと思います。

 敢えてあらかじめお話の順序をもうしあげるとすれば、

 (1)「幸齢」と読みかえる理由(高齢者の意識の変革)
 (2)「幸齢世代を」を楽しむ方法
 (3)私とディジタル社会との関わり合い
 (4)高齢者の心を癒すディジタル通信
 (5)満年さんのこと((4)の一例)
 (6)まとめ
 ということになりますが、脱線するということもありますので一応のめやすということにしておいていただきたいと思います。


2 「幸齢」という言葉(高齢者の意識を変える。)

 まず、ここでは「幸齢」と言う言葉を使っています。
 これは無論「高齢社会」の「高齢」の「高い」という字をもじって、「年齢が高い」ことを「幸福な年齢になった。」という意味におきかえたものです。
 「高齢」というと、最近は「シルバー世代」あるいは「シニアの方」という言い方もかなり多くなってきております。
 こういう世代は何歳くらいの人を言うのかと言いますと必ずしも定説はありません。昔は就業男子、、つまり勤めている男性の定年が60歳前後であることから一般的には60歳以上を言うのではないかと思われます。しかし、定年も引き上げられてきていますの で、どうやら65歳以上の方を高齢者と呼ぶことが多くなってきているようです。
 でも、そうすると還暦を迎えた方もまだ「高齢者」とは呼ばれなくなるわけで、こういう方々を今度は「ニュー・シルバー」と呼ぶ傾向が出てきています。
特に、このニューシルバー世代は、概ね55歳から64歳位までをいうのですが、この年代は昔と違い働き盛りでもありますので、いうなれば「元気な高齢者」と位置づけられ、海外旅行をしたり、 住宅を購入するなど経済的にもゆとりがある層であることから、いわゆるシルバー産業のターゲットにもなっているところであります。

 しかし、私はこの「シルバー世代」あるいは「シニアの方」という言い方も。カタカナ文字を使うことがお好きならそれでもいいと思いますが、本来の日本語である漢字を使う のならば、これよりも「幸齢」あるいは「幸齢世代」という言葉が一番相応しいのではないかと思っています。
 この言葉は決して私が作ったものではなく、今から6年ほど前に読売新聞がこういう表現で高齢社会に関するドキュメンタリー記事を連載したものを借りたものです。し かし従来の高齢者という意味を変えるということで大変意味があったと思います。
 従来は、、、いや今でもかなりそうなのですが、「高齢者」というと「イコール社会的弱者」という意味合いが強いのが現実だと考えます。
 しかし、国民の平均余命が伸び、かつ国民の4分の1が高齢者であるという現実、更に、こういう高齢者の方が活発な社会生活を展開している現実をみますと、もはや「高齢者」イコール「社会的弱者」であるという意識は払拭すべき時期にきていると考えます。
 無論、高齢者の方の中にはご病気の方が比較的多いし、介護しなければならない方も沢山おられます。
 こう言う方々を手厚く看病、介護するのは当然のことです。
 その上で私は申し上げているのですが、最近は年齢だけでは計れないほど元気な高齢者が多くなっているのも事実です。
 そして私は高齢社会における我々のこれからの生き方を考えてみると、まずこうした言葉の感じ方を変えることから意識変革を行うべきではないか、と考えるものです。
 そもそも自分が社会的弱者であるという考えが根底にあるなら、この時代を楽しもうという発想が出てこないし、積極的にコミュニケーションを求めようとしたり、あるいは社会参加しようという気持ちがでて来るはずがありません。
 昔、札幌農学校の教授を去ることになったクラーク博士が「少年よ大志を抱け」と言った話しはあまりにも有名です。これは確かに未来ある少年を鼓舞するために言ったことではありますが、正確には次のように言っているのです。

Boys be ambitious alike this oldman.

 直訳すると「少年達よ、この年寄りのように大きな志を抱け!」ということなのです。
 つまり高齢者と言うものはいつも「大志」を持っていると言うことが前提になっています。
 更に、サムエル・ウルマンというアメリカの詩人は、これまた「青春」という詩を残していますが、この詩では「青春とは人生の一時期をいうのではなく、心の様相を言う」と言っています。
作山宗久と言う人の訳が分かりやすいので、この訳からいうと「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の持ち方を言う。」と言います。そして「青春とは怯惰を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。時には20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うときに初めて老いる。」と言っております。

 こういう先人の言葉や詩から分かるように、「高齢者」はもともとイコール「社会的弱者」ではなかったのですし、そうあるべきではなかったのですが、いつのまにか間違った印象ばかりが先行していたのです。ですから「幸齢」と置き換えることは大きな意味があると考えます。

 無論、高齢ないし高齢者に関してこれを社会的弱者と考えるのではなく、積極的な面か ら捕らえて表現する例は他にもあります。
 例えば、「熟年」あるいは「熟年世代」、「実年」という言葉もあります。横文字で言えば「メロウ」(これは「熟した」という言葉と同じですが)という言葉もあります。
 しかし、高齢者の多くの方が、一応現役をいったん退いたり、あるいは個人事業者の方でもお子さんなどの後継者が育ったことで事業の大きな部分を任せるようになるという事態であるならば、これは「これからはほんとうの世代を楽しむ。」という気持ちが全面的に、あるいは全面的にそう思うことが難しくとも、かなりの部分、そういう気持ちがあるならば、やはり一番「幸齢」ということが相応しいと思います。


3 幸齢の楽しみ方

 こういうことで私は「幸齢」の楽しみ方という表現を使っています。
 ではどう楽しむかということについては、率直に言って色々な楽しみ方があると思います。
 ここではお金があんまりかからない、また気楽に参加できるという観点から考えられる例を上げてみましょう。
これらは高齢者向けの雑誌を参考にして抜き出したものです。
 高齢者向け雑誌というと随分沢山ありまして「ほんとうの時代」「サライ」「蘇る」を始めとして、市販はされていない「百歳万歳」「いきいき」「長陽」など沢山のものがあります。
 こういうものから抜き出してみますと、、、、

  コーラスやオーケストラなど音楽を楽しむサークルが沢山あります。
  ボウリング、テニス、ゲートボールなどスポーツを楽しむ会もあります。
  あるいはダンス、ゴルフなどもこの中に入るのだと思います。
  日本的なものでは、お茶、舞踊、詩吟、謡曲、長唄、三味線、民謡などがあるでしょうか?
  文学・文芸的なものでは短歌、俳句、川柳があるでしょうか?
  まだまだあります。絵を書くこと、陶芸もあります。
  また、旅行という分野ではドライブ、温泉めぐりのほかに、海外長期滞在、、これにはロングステイ財団という政府後援の余暇利用もあります。
 最近増えてきたのは「週末農家」でありまして、「週末」は「終わり」を意味するものではありません、一週間の終わりに横浜市に住んでいる方が山梨県や静岡県の郡部の方に家を求めて、そこで農業をやるという楽しみ方も増えてきています。
 無論、日常的に娯楽としてはパチンコマージャン、そしてカラオケも入るかもしれません。
 こういう生活の楽しみ方、或いは幸齢の楽しみかたのほか、ボランティア活動に生き甲斐を見いだしている方も随分多くなっています。
 今や何らかの形でボランテイアに従事しているいわゆるボランテイア人口は2000万人と言われているのですが、この中には高齢者の方が300万人とも言われています。

 今上げた幸齢の楽しみ方というのは、実際に高齢者の方が実行しているものです。
 そして決して一人がひとつの楽しみ方しかないと言うことではなく、一つまたひとつと広がりをみせたり、或いは自分の考えたこととは違うため取りやめる、、などのプロセスを経て楽しみがより充実していくのだと思います。
 しかし、こうしたなかで最近増えてきているものにインターネットやパソコン通信を使って幸齢を楽しむというやり方があります。

 インターネットというのは、通信回線とコンピュータが「インターネット・プロトコル」と呼ばれる世界共通の設定で接続されることによって出現したテクニカルなメデイア(通信の仲立ちするもの=媒体)です。
 これに対してパソコン通信は、一つの定められ枠の中でパソコンを結び付けて行うメデイアです。
 ですから、その「枠」、例えばパソコン通信会社に加入している人だけしかできない通信システムです。
 インターネットは、そうした枠を越えて行うことができるものです。
 インターネットに接続するには、普通はこうしたインターネット・プロトコルに対応した回線を備えたプロバイダに加入することによって世界中のインターネット利用者と交信できるようになるわけです。

 私は、このインターネット上にホームページをもっておりまして、もっぱら高齢者向けの話題提供を行っております。
 このホームページはインターネット専門誌その他に取り上げられております。
 ま、そうは言いましても最近は本職の仕事が結構忙しいものですから、なかなか更新、、、新しく書換えるということですが、これが難しくなっています。そこで、仕方ないので、最近は一日に俳句を日替わりで載せているのと、「今日のZAKKAN」と題しまして、時々400字以内で日記風のコメントを載せているという状況です。
 これを私はインターネットもパソコン通信もまとめてしまって、これからは「ディジタルな楽しみ方」と表現するかもしれません。

 どちらもパソコンをお持ちでないと出来ないわけですし、高齢者の方には、「私は機械音痴なんで、、、」と敬遠されることが多いと思われています。
 今日集まりの皆さんはお見受けするところまだまだお若い方ばかりですが、それでもかなりの方がパソコンと聞く だけで「え、そんな話し、私には関係ないよ。」とお思いかもしれません。
 ところが、現実は皆さんお考え以上に高齢者の方でこのパソコンを使ってインターネットやパソコン通信を行う人が増えているのです。
 そして私は、こういうディジタルな楽しみ方こそ、これからの高齢社会に相応しいのではなかろうかと思っています。


4 私とディジタルな楽しみ方との関わり合い

 では、まず「私と電脳空間との関わりについて少しお話したいと思います。
 私は、最近までは高齢者を中心とするパソコン通信フォーラムの運営に深く関わっておりました。
 このパソコン通信フォーラムは、現在、会員は9200人おりまして、私は1昨年の11月までは会長、この6月までは副会長をしておりました。
 でも、本業が多忙になったので副会長職も退いたということです。
 会員は40歳後半から82歳までの人達です。
 中でも60才台の人達がいちばん多くて、毎日パソコンの画面を通じて、「横浜高校の活躍は素晴らしかったね。」とか、「先日、仲間とグアムに行って、こういう美味しい料理を食べてきたよ。」とかの会話を行って楽しんでいる会なのです。
 勿論、私はいまでもこの会の会員でありますから、例えば俳句をめぐる議論とか、あるいは最近の新聞の話題などについて話したりしています。
 こういうこともあって私は、今ではなくなりましたが、以前はときどき月刊誌や高齢者向けの雑誌などに登場することがありました。
 例えば、1昨年の7月には文芸春秋のグラビアにも登場しております。また少し前には熱心な仲間の人と共にパソコン通信の入門書を発刊したこともあります。

 私が何故こういうパソコン通信フォーラムを主宰することに関わったり、あるいはインターネットにホームページを作ったりしているのかと言いますと、高齢者の方達が現実にパソコン通信を通じて心が温かくなるような交流を広げていることを実際に体験してみて、これこそ自分でこれから関係していくべき世界だと思ったためです。
 もう少し詳しく言いますと、私自身当初は格別インターネットやパソコン通信に興味を持っていた訳ではなかったのです。
 それが今から8年ほど前、忙しい仕事が一段落したとき思ったことがありました。それはある官庁にいて多忙な作業に従事していた時期で、帰宅時間などいつも遅い頃でした。
 いわゆる仕事人間だったのですが、そういうときに、ふと「私もあと10年経ったら退職なんだけど、考えてみると仕事一筋で何も趣味らしきものを持たないなあ、、、自分は退職した後、どんな生活を送ることになるんだろう。」と考え込んだ時がありました。

 そういうときにたまたま、PHP研究所という松下幸之助さんのお考えを受けた出版社が発行している「ほんとうの時代」という雑誌を本屋でみたときに、高齢者の方が非常に溌剌とした意見交換をしておりました。そこで一つの感銘を得たのですが、それから1年 もたたない時に、更に、日本経済新聞に高齢者がパソコン通信で、これまた生き生きとして交流をしていると言う記事を読み、瞬間的に「自分がやることはこれだ!」という、啓示を受けたにも等しい感慨を味わったのです。
 でも、そのときはパソコンを持っていませんでした。
 そこで、パソコン通信機能を備えたワープロでパソコン通信に参加したのですが、これがきっかけとなって徐々にパソコンを持つように変わって来たのです。

 そして、これからの方向を考えてみますと、この高齢社会において、自分もその一員となる高齢社会においてはインターネットやパソコン通信を利用するコミニュケーションが 必ずや主流になり、しかも、高齢者自身が心の支えにすることができるツールであると思 っています。

 余談ですが、今ではわが家には4台のパソコンがあり、内一台は自分がキットと言いまして組み立て用の部品がありますが、それを組み立てて作ったものであります。また、その外に携帯用のワープロ、今流行りのザウルスなどをもって例えば携帯電話やISDNの公衆電話回線などを使って手軽なネットワーク活動をおこなっているところです。

 先ほども申しましたが、日本は21世紀に入って20年くらいすれば超高齢社会になるわけですが、そのためにいろいろな福祉政策がとられております。
 例えば介護保険法が2000年から施行されるということはその例であります。
 この法律は高齢者の体の面については自治体やボランテイアが中心となって高齢者を支えて行こうとするもので大変意義があるものと思っています。
 ただ、高齢社会における高齢者は、こういう介護保険にお世話になる高齢者ばかりではありません。
 今でも元気な高齢者は全国に無数にいるわけですが、こういう元気な高齢者のメンタルな面、心の面のケアについてはたいして手当てがされているわけではありません。
 「それはあなた、元気な高齢者なら何も考えてあげなくていいんじゃないの(?)」というお話があるかもしれません。
 確かにそういう面もあります。
 旅行したり趣味の会に入ったりするなど活発な高齢者のお姿はよくお見かけします。

 しかし、私が加入しているパソコン通信フォーラムやあるいは私のホームページに書き込んでくれる人のお話を伺いますと、相当な高等教育を受けたと思われる方でも、ご自分は引退し、子供は独立し、そうして奥さんまたは旦那さんとは話すことはない、相手はテ レビだけという方も結構おられます。
 テレビもいつもいつも横浜高校とPL高校戦のような感動のドラマが続く訳ではないので、どうしても寂しさが募るという方も多いのです。

 こういうことを考えますと、元気な高齢者というときの「元気」の中には「心」の部分が欠落しているのでありまして、ここを補うのがデジタル・ネットワークを通じたコミニ ュケーションの広がりだと思うのです。
 しかし、「心の部分が欠落しているのを補う。」と言っても、抽象的なお話になっては何にもなりません。
 そこで一例だけですが私が関係していたパソコン通信上の出来事をご紹介して、この欠落した心の部分がどのように癒されているかということをお話したいと思います。


5 満年さんのこと

 朝日新聞には「いのち長き時代に」という連続企画ものがあります。
 これは不定期に掲載されますが、昨年の10月、私も関係するパソコン通信フォーラムのことが連載されました。
 主人公は満年さんという当時53歳の会員でした。
 「満年」というのは本名ではなく、本名は森口征雄さんと言います。
 ご本人は53歳で亡くなりましたが、「万年青年」という気持ちを持っていたのでこういうペンネーム・あるいはニックネームにしたと言うことであります。
 このパソコン通信フォーラムでは本名で参加している方は少なく、大抵、ペンネームで呼び合っています。
 いろいろな名前がありまして、ペンギン、スターダスト、羊、あんみつ姫、甘辛城主、キタノホマレなど、様々です。

 こう言う人達が時々は集まって、カラオケ、施設見学など健全で建設的なお付き合いをしているのですが、集まると大抵胸に大きなネームカードをつけて大きな声で呼びあいます。
 あるときは箱根で全国大会がありまして、皆さん箱根登山鉄道のあの小さな電車に乗り込んだのですが、そのときの会話が「あんみつ姫さーん。こっちこっち!」とか「とんでんさんは北海道なんですって?」などと話すのですが、周りの乗客たちは聞きなれない名前で呼び合う高齢者の集団に相当好奇心をそそられたようです。
 しかし、我々にしてみればこれは普通のことですので、大まじめに呼び合っているわけです。
 満年さんもこういう会に属した一人でしたが、残念ながら昨年の3月24日、食道ガンのため亡くなりました。

 朝日新聞の記事は、この満年さんの死に至る経過とパソコン通信の関わりを書いたもので、現在、この記事は他の記事と共に単行本となり筑摩書房からやはり「いのち長き時代に」という本の第3話「ある絆」として収録されています。

 この記事によって満年さんのことをお話していきますと、この高齢者のパソコン通信フォーラムは「闘病を支えた高齢者ネット」として紹介されています。
 満年さんは平成5年に会社の定期検診で異常が発見され、検査の結果胃がんであると告知されました。
 そしてテレビの人気司会者だった逸見政孝さんが同じ病気で亡くなったその日、同じ病院で手術を行ない、胃だけでなく、胆嚢も、脾臓も摘出してしまいました。
 手術を行なってから2年後、、、

------(以下は「いのち長き時代に」120ージから)--------------

 手術はうまくいった。だが、再発の恐怖にさいなまされ、薄氷を踏むような日々が続いた。  そんなある日、パソコンの好きな森口さんは偶然「メロウ・フォーラム」という高齢者向けのネットワークをのぞいた。  メロウ・フォーラムは、7000人いる会員の7割を60歳以上が占めている。「第二の人生、その傾向と対策」や「還暦を過ぎた方の部屋」など、テーマごとの会議室がある。会員はパソコン回線を通して好きな会議室に入っていって、仲間の意見を聞き、感想を書く。
 11番目に「生と死」という会議室があった。ここでは死や病気の悩みについて、真剣な議論が闘わされていた。
 「なんだ、みんな病気しているんじゃないか。」
 気分が楽になった。
 病気をしてから初めて、自分だけが不幸なわけじゃないと思うことができた。
 自分の病気や人生観を、森口さんは語り始めた。
 通信上のニックネームは「満年」とした。
 通信に加わって間もなく、メロウ・フォーラムの仲間に誘われてバードウオッチングを始めた。
休みのたびに野や山へ出かけるようになった。
 新しい仲間と新しい趣味が、森口さんの気持ちを癒した。
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それから一年、、、森口さんは、今度は食道がんであると告知されてまた入院することになりました。入院する前に森口さんはパソコン通信のボード(画面)に書きました。

------(以下は「いのち長き時代に」121ページから)----------

 「3年間、いずれ再発はあるだろうと予想はしていたが、残念だ。いろいろなことが頭をよぎる。仕事のこと、子供のこと女房のこと、オバアチャンのこと。  生きて帰って来れるかな!!!」

 会社ではごく一部の同僚にだけ病気を伝えた。
 仕事の引継ぎで忙しかったが、帰宅すると熱心にパソコンのキーを打った。
 次々に返事が届いた。
 病気や死をいつも身近に感じているからだろうか。高齢者の人たちの、ひとの病気を他人事にしない優しさに、森口さんは慰められた。
 「驚くほど心強いですね。大勢の方に見ていただいていると思うと、チットはかっこうもつけたくなるし、それが踏み台にもなるなーって思います。」
 年が明けて97年の元旦の朝、森口さんは近所の小さな神社に初詣をした。
 引いたおみくじは大吉、「病は早いうちに治る。」と出た。そんなささいな報告にも、通信仲間は喜んでくれた。
 入院してからも通信を続けたいと森口さんは願った。愛用のノート型パソコンを鞄に入れ、一月七日の朝、妻の恭子さん(53)に付き添われて病院に向かった。
 「最近、その時の体調によって発言の内容が揺れてしまいます。体調のいい時には楽観的になり今を楽しもうと思いますが、そうでないときには、いよいよこれでおしまいか!と考えたりしています。治療が始まったら、この振幅がさらに大きくなるのではないかと、そこが心配ですが、、、、見苦しいときはご容赦のほど」

 10日後の17日、午前9時に始まった手術は18時間に及んだ。

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 朝日新聞の記事から離れますが、その後、満年さんは自分で通信することはできなくなりました。
 しかし、代わって奥さんが「山百合子」というニックネームを使って森口さんの病状を伝えるようになりました。
 そうして手術後の経過は刻一刻と詳しく伝えられ、通信仲間からの激励のメッセージは山百合子さんがプリンターで印字して満年さんに届けるようになりました。
 この「病室便り」を通して誰もが満年さんの生還を信ずるようになっていました。
 しかし、3月に入って病状は急変しました。
 ガンが脊髄に転移していたのです。

 満年さんは

------(以下は「いのち長き時代に」124ページから)----------

 ベッドの上で鉛筆を握り、たどたどしい文字で通信仲間へ「お別れ」を書いた。
 それを恭子さんがパソコンで打って、送信した。
 「私の希望として、手が動かなくなる前に死にたいと御願いしてあります。−−−皆様には退院後、もう少しまとまった報告をしたいと思っておりましたが、残念ながらだめなようです。短い期間ではありましたが、質の高い、いい時間を過ごすことができました。」

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 ここで朝日新聞の記事からは離れますが、私はこの満年さんのメッセージを一番早く読みました。
 ちょうど私はそのとき、スタッフとして会議室のメッセージを見守っている役割でした。
 私は、このメッセージをみて満年さんが重大な時期に差し掛かっていると思いました。
 そこでこのパソコン通信フォーラムの全員が必ず読むようにセットされている画面で会員に呼びかけました。

 「生きることも、生きるために闘うことも大切なことですよねッ。満年さん、頑張れ!山百合子さん、頑張れ!」

 朝日新聞の記事によると、病室でこれを読んだ満年さんは、子供のように声をあげて泣いたといいます。
 続いて、パソコン画面を読んでいたたくさんの会員の方たちが、一斉にこの「生と死」の会議室に満年さんと山百合子さんたちを励ますメッセージを寄せ始めました。
 そればかりではありません。ある会員の方はアメリカにいて日本の、我々のパソコン通信フォーラムに加入していたのですが、満年さんがこうした死の淵にあると知ると、インターネットの高齢者向けのホームページでこの状況をアナウンスしました。「日本に満年さんという人がいる。がんでキーボードも打てない状態になってしまった。もし励ましてくれるなら私が喜んで彼に届けたい。」 こういうメッセージ(通信文)に対してもニュージーランド、アメリカの高齢者から翌日、何通ものメッセージが寄せられました。
 私は満年さんとは彼が元気なときに何度も会っていましたから顔なじみでしたが、日本全国にいる当時7000人の人の多くは満年さんの顔を知らない人が大半です。
 こういう会ったこともない人達が、満年さんたちを励ますためのメッセージを書かずにはいられない一体感をデジタルな世界が作り出してくれるかと思うと、私自身も胸が熱くなる思いでした。

 こうした反響に、また満年さんの奥さんである山百合子さんは何日かたってメールを寄せてくださいました。
「毎日届くたくさんのコメントを読んで二人とも心を動かされ、まだ負けたわけではないと思えるようになりました。二日ほど休んだ放射線治療も再開しました。何も食べてなかったのが、ほんの少しですがプリンとヨーグルトと牛乳を食べるようになりました。これが皆さんの言っている負けてはいけないということなのですね、、、、。」

 しかし残念ながらその3日後、3月24日昼頃までは家族と話しもできていた満年さんは、夕方には深い眠りに落ち、そのまま目覚めることはありませんでした。
52歳と7ヶ月でした。

 その日の深夜、山百合子さんの「最後の病室便り」と題するコメントがパソコンの画面を流れました。
「皆様の励ましの言葉、たくさんのメールを持って満年は旅立って行きました。短い生涯でしたが、輝いた晩年を過ごすことができたのは、本人の努力と周りの支えがあったことと皆様に深く感謝します。抱えきれないほどの思いと一緒に私たちの前を駆け抜けていった満年に代わりまして御礼申し上げます。」

 満年さんは今は富士山がよくみえる静岡県の霊園に眠っています。
 満年さんはパソコン通信フォーラムに入ってからバードウオッチングをはじめたのですが、このお墓をお参りした仲間の話しによると、いろいろな鳥がよくみえるところだということです。

 満年さんの奥さんは、満年さんの死後暫くパソコン通信にも現れていませんでした。
 しかし、この9月に箱根・強羅でネットワーカーの全国的集まりがあったとき、会場でばったりとお会いしましたが元気になられておりました。
 いまではインターネットのあるホームページに積極的にアクセスしておられます。


6まとめ

 そろそろお時間が参りましたので、こうした満年さんの例を中心にしたお話をまとめさせていただきます。
 インターネットもパソコン通信も、これはパソコンと言う器具を通じてコミュニケーションを行なうものですから、直接に会ってしかも面と向かって話しをすると言うことは少ない世界です。
 しかし、何と言っても居ながらにして自分で好きなときにコミュニケーションの時間を取る事ができ、これを広げることができると言うのは誠に素晴らしいことだと思います。

 先ほど、幸齢時代を楽しむための数々の例を上げました。
 無論、これらのものはそれぞれに素晴らしく、また奥行きの深いものを持っています。
 でも、我々がこれらのものに惹かれるのはどうしてでしょうか?
 例えばそれが俳句であれ、テニスであれ、そこに魅力を感ずるということは俳句、テニス自体の魅力もさることながら、これを通じた自分以外の人へのコミュニケーションを求めたり、あるいは更にコミュニケーションを広げたいと思う気持ちが強いからなのではないでしょうか?
 満年さんが我々のパソコン通信に興味を持って参加してくれたのも、会社の人たちの間では尽くせないコミュニケーションの広がりを感じ取ったからだと考えます。
 我々はどういうときでも一人では生きていけません。
 常に家庭、友人、町内会、地域社会というように広がりを持った社会で生きていくわけですが、それにはこのコミュニケーションが大事なものだと思います。
 そして、インターネットもパソコン通信もパソコンを仲立ちとしてコミュニケーションを持ちますが、パソコンの向こうには満年さんの心を癒し、彼を支えたたくさんの人間がおりました。

 こういうコミュニケーションを求める人達のエネルギーの結集として、高齢者のネットワーカーの間では自発的に全国レベルの大会をやろうという声が出てきました。
 私たちの会の場合は、既に4回の会を重ねておりますが、今年は10月10日から二日間、はじめて関西・それも京都国際会議場で開催しました。
 このように今は高齢者の方がパソコン通信やインターネットを通じて自らの交遊関係を広げ、そしてコミニュケーションの対象を広げようとしている時代であります。

 そして、こういう人達は年々増えています。
 特に最近は高齢者を中心としたパソコン教室も盛んです。
 私どもが関係する民間団体でもある支部ではパソコン同好会を作って、実際にパソコンを通じた議論を行なっていると伺っています。
 参加しておられる方は必ずしも若い方ばかりではありません。
 また、今はどこの会社でも営業用としてのパソコンは持っているようですが、ある経営者の団体ではそういう会社の業務に役立てるためではなく、各会社のオーナーにパソコンを使ってもらうためのパソコン教室を行なっています。
 会社のオーナーも、これまた世間的な意味で若いという方は多くありません。

 ですから、私がこうして幸齢の楽しみ方として皆さんにインターネットやパソコン通信をお奨めするのは全く時代の先端を行くのでもなんでもないのです。

 私は現在、56歳。
 丁度2000年には現役を引退し、21世紀は後に続く後輩の方々に本業をお任せするのですが、しかし、私自身はこのインターネットとパソコン通信というツールを手にし、また、先ほど少しお話しましたが、サムエル・ウルマンの「青春」という心を鼓舞する詩を得、これからがほんとうの人生に向かって進みだすことになるのだと思っています。

 また私自身のことはともかく、このウルマンの詩を読んだ人達は、パソコン通信でもインターネットでも、「この詩を読んで勇気が出た」とか、立ち直ったと言う方が沢山いま す。
 私のホームページは高齢社会を考えるための私的なホームページですが、こういう反響を考慮して一番にこの「青春」という詩が分かるようになっています。

 これから一層の高齢社会に向かう日本にとって、高齢者の方のこの様な意識の変革をもたらす可能性の高い詩は意義が有るものと思っています。
 特に、人は年齢に関係なく、理想を持ち、情熱を燃やして自分の生き方を追求していけ ば、その人は老人ではなく、青年だと思います。
 そしていつでも青春であると思える世の中であればこそ、正に幸齢を楽しんでいると言えると思います。
幸齢を真に楽しむ高齢者が増えたら、日本の高齢社会は、実は青春社会になるのではないかと思っています。

 自分の仕事以外の経験をもとに大変拙い話を致しましたが、お耳障りのこともあったかと思います。
その点は平にご容赦をお願いいたしまして、これで私の話を終わりたいと思います。
 ご静聴ありがとうございました。

[1998/11/27]